ウラジーミル・シクリャローフウラジーミル・シクリャローフ(Vladimir Shklyarov、露: Владимир Шкляров 、1985年2月9日 - 2024年11月16日)は、ロシアのバレエダンサーである[1][2]。 2003年にワガノワ・バレエ学校を卒業後、マリインスキー・バレエに入団した[1][2]。入団後昇進を重ね、2008年にファースト・ソリスト、2011年にプリンシパルに昇進した[1][2][3]。ダンスール・ノーブルにふさわしい容姿と優れた舞踊技巧、そして幅広い芸域を兼ね備えたダンサーで、マリインスキー・バレエのみならず世界各地で活躍している[1][3][4]。 妻は同じくマリインスキー・バレエに所属するバレエダンサーのマリア・シリンキナ (en) [注釈 1][6][7][8]。なお、しばしば「シクリャーロフ」とも表記される[9]。 経歴サンクトペテルブルクの生まれ[2][3]。ワガノワ・バレエ学校に入学して、ヴィターリー・アファナスコフのクラスでバレエを学んだ[3][10][11]。在学中の2002年に、ワガノワ賞バレエ・コンクールに入賞している[10][11]。 2003年にワガノワ・バレエ学校を卒業し、同年マリインスキー・バレエに入団した[2][3]。入団後の2007年にマリウス・プティパ原振付『フローラの目覚め』(セルゲイ・ヴィハレフ復元振付)のゼフィール役、2008年にはミハイル・フォーキン原振付『ル・カルナヴァル』(en:Carnaval (ballet)、ヴィハレフ復元振付)のアルルカン役の初演者となった[2][10]。入団後昇進を重ね、2008年にファースト・ソリスト、2011年にプリンシパルに昇進した[1][2]。 シクリャローフはダンスール・ノーブルにふさわしい容貌に恵まれたダンサーで、『白鳥の湖』、『眠れる森の美女』、『くるみ割り人形』での王子役の他、『ロミオとジュリエット』(ロミオ)、『ライモンダ』(ジャン・ド・ブリエンヌ)などの主役の他に『白鳥の湖』の道化、『海賊』のアリとランケデム、『ラ・バヤデール』の黄金の像などキャラクテール風の役柄をも踊りこなす芸域の幅広さを持つ[3][9][10]。舞踊の技巧にも優れ、ジョージ・バランシン振付『ジュエルズ』、『シンフォニー・イン・C』、ハラルド・ランダー振付『エチュード』(en:Études (ballet))などのアブストラクト・バレエもレパートリーに加えている[3][10][4]。 マリインスキー・バレエのロシア国外での公演に参加するほか、他のバレエ団等へのゲスト出演も多い[3][2]。2012年にモスクワのボリショイ劇場で『白鳥の湖』に主演、2014年5月にはアメリカン・バレエ・シアターで『ラ・バヤデール』のソロル役でデビューを果たした[2][6]。『ラ・バヤデール』はシクリャローフ自身が最も好きな作品の1つであり、アメリカン・バレエ・シアターへの招聘もこの作品が契機であったという[6]。アメリカン・バレエ・シアターでは、ナタリア・マカロワ(『ラ・バヤデール』の演出と振付を担当した)とともにリハーサルする機会があった[6]。シクリャローフはマカロワについて「本当に並はずれた女性」と評し、「唯一無二の、かけがえのない存在ですよ」と高い評価を与えていた[6]。 2015年6月には東京バレエ団のゲストとして、アリーナ・コジョカルとともに『ラ・バヤデール』に主演している[6][12]。東京バレエ団へのゲスト出演は、マカロワの推薦によるものであった[6]。シクリャローフはコジョカルとの共演について「アリーナは本当に素敵でした!彼女と踊ることは長いことぼくの夢だったのですよ(後略)」とインタビューでその喜びを語っていた[6]。 2015年11月のマリインスキー・バレエ日本公演では『愛の伝説』(ユーリー・グリゴローヴィチ振付)のフェルハド役で舞台に立った[13][14][15][16]。しかし、3幕の大詰めで負傷するアクシデントに見舞われ、出演予定だった『ロミオとジュリエット』は降板となった[14][17]。その後復帰を果たし、2016年3月31日から4月10日にかけて行われたマリインスキー国際バレエフェスティバルでは『青銅の騎士』(ロスチラフ・ザハロフ原振付、ユーリー・スメカロフ再振付)に主演した[18]。 2016年5月にバイエルン国立バレエの芸術監督イーゴリ・ゼレンスキーの招聘に応じて、同バレエ団と1年契約を結んだことが明らかにされた [19]。ただし、マリインスキー・バレエを退団せずに1年間の休暇をとった状態で参加することになり、この1年契約はもう1年延長される可能性があるという[19]。シクリャローフはバイエルン国立バレエとの契約を結んだ理由として、「マリインスキー・バレエでは踊りたい役をすべて踊ったから、新しい環境に身を置いてさらにレパートリーを広げたい」との考えを表明した[13][19]。 ワガノワ賞バレエ・コンクールの他にも受賞歴は数多い[3][2][10]。主なものとしては、「バレエ」誌の「ダンスの魂」新人賞(2008年)、レオニード・マシーン舞踊芸術賞(2008年)、モスクワ国際バレエコンクールシニア男性金賞(2009年)などがある[1][2][10]。2014年には国際バレエフェスティバル「ダンス・オープン」においてミスター・ヴィルトゥオーゾに選出された[2]。 2022年ロシアのウクライナ侵攻後、同年3月にソーシャルメディアに「僕はいかなる武力衝突にも反対です!(略)戦争も国境も要りません」と投稿した[20][21]。 死去シクリャローフは複雑な脊髄手術を受ける予定の2日前だった2024年11月16日、サンクトペテルブルクにて39歳で他界した[22][23]。マンション5階のバルコニーから転落した際の負傷が死因となった[24]。亡くなる前に、アルコール依存症や違法薬物の乱用に加えて、外科的な処置が必要な健康問題についても噂されていた[25]。 私生活シクリャローフは、同僚のバレエダンサー、マリア・シリンキナと結婚している[注釈 1][6][7][8]。シリンキナはペルミの生まれで、同地でバレエを学んだ[5][7][8]。2006年にペルミ国立舞踊学校を卒業して、同年マリインスキー・バレエに入団して、タチアナ・テレホワの指導を受けた[5][7]。 シリンキナの主なレパートリーとしては、『ジゼル』のタイトル・ロールや、『海賊』のギュリナーラ、『眠れる森の美女』のオーロラ姫とフロリナ王女などクラシック・バレエの主要な役柄のみならず、ジョージ・バランシン振付の『ジュエルズ』、『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』などのアブストラクト・バレエやアレクセイ・ラトマンスキーによる『シンデレラ』のタイトル・ロールなど幅広い役柄を踊っている[5][7]。 2人の間には、2015年2月に男児アレクセイが誕生した[6][8]。シクリャローフは「本当にかわいい。ぼくの三十年の人生のなかでもっとも素晴らしい授かりものです」とその喜びを語っている[6]。シリンキナは同年7月30日にマリインスキー劇場での『ロミオとジュリエット』で舞台に復帰し、11月の日本公演では『愛の伝説』で夫妻共演を果たした[注釈 2][14]。なお、シリンキナもシクリャローフとともに、バイエルン国立バレエとの1年契約を結んだことが明らかになっている[19]。 2021年7月に、第2子である女児アレクサンドラが生まれた。 脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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