ウォキーガン (イリノイ州)
ウォキーガン(英: Waukegan、[wɔːˈkiːɡən])は、アメリカ合衆国イリノイ州の都市。レイク郡の郡庁所在地である。人口は8万9321人(2020年)。シカゴの北60キロメートルのミシガン湖畔に位置している。 市名の由来現在のウォキーガンの場所は、1778年のトーマス・ハッチンスによる地図ではリヴィエール・デュ・ビュー・フォール(オールド・フォート・リバー)や、Wakaygaghと記録されていた。 1820年までに、フランス語の地名は英語のスモール・リトル・リバー(Small Fort River)となり、開拓地はリトルフォート(Little Fort)として知られるようになった。 Waukeganceや、その後のWaukeganという地名(小さな砦という意味。なお、ポタワトミ語で小さな砦はwakaiginという。)はジョン・H・キンジーとソロモン・ジュノーによって作られ、1849年に新しい地名に採用された [3]。 地理ウォキーガンは北緯42度22分13秒 西経87度52分16秒 / 北緯42.37028度 西経87.87111度に位置している[1]。市はミシガン湖岸にあり、ウィスコンシン州との州境から南に13㎞、シカゴ・ダウンタウンから北に60キロメートルに位置している。標高は約218m[1]。 2010年の調査によれば、市域全面積は23.88平方マイル(61.8 km)2で、このうち陸地は23.67平方マイル (61.3 km2)、水域は0.21平方マイル (0.54 km2)で水域率は0.88%である [4]。 人口動態
2010年国勢調査以下は2010年国勢調査による人口統計データである。 基礎データ
人種別人口構成
2000年国勢調査以下は2000年国勢調査による人口統計データである。
経済市の包括的年間財務報告書によれば、市内の雇用主トップ10は以下の通りである。
再開発市は湖岸地区の再開発を計画している。湖岸地区では、ミッドウェストの発電所とノースショアの下水処理施設を除き、産業活動を行う施設は移転を求められている。 産業施設があった場所は住宅地や住民の憩いの場となる予定である。市はまた、開発に伴う将来の税収増を見込んで資金調達を行うTIF(Tax Increment Financing)地区を、魅力があり成功している新たな開発者のために設置する。 再開発の最初のステップは、映画館とコンサートホールの機能を兼ね備えたジェネシー・シアターの復活であり、これはすでに達成された。新たに多くのレストランが開業し、建物も修復された。さらにウォキーガン市は歩行者天国などのインフラ整備に多額の投資をした [6]。 観光人気のあるイベント
人気のある観光地
スーパーファンド用地ウォキーガンには全国浄化優先順位表に(NPL)に記載されている有害物質を処理する3つのスーパーファンド用地がある。 1975年、ウォキーガン港の沈殿物からPCBが発見された。アウトボード・マリン・コーポレーション(OMC)の生産活動が原因であることが調査によって明らかになった。 OMCのプラントからPCBを含む排水が床排水を通じて排出され、ウォキーガン港に直接注ぎ、ミシガン湖を汚染していた。OMCのプラントはその後NPLに加えられ、43ヶ所ある五大湖懸念地域のうちの1つに指定された。 汚染地域の浄化は1990年に始まり、OMCは2000万~2500万ドルの資金を提供した。加えて、ウォキーガンガス・コークス製造会社の跡地の土壌汚染が見つかった。コークス炉跡地の土壌除去は2005年に完了した。 OMCの1.6㎞北[7]にはジョンズ・マンビルの工場がある。 1988年、アスベストによる汚染が地下水や空気中に見つかった。即座にNPLに記載され、その後浄化が行われた。1991年、土壌のアスベスト除去は完了した。しかし、ジョンズ・マンビルの敷地外にも新たにアスベスト汚染が見つかっており、さらなる浄化が求められる。 ジョンズ・マンビルの2.4㎞西には、ヨーマン・クリーク処分場がある。ここは1959年から1969年まで廃棄物処分場として使われていた。 1970年、処分場の最下層から揮発性有機化合物やPCBを含む汚染水が地下水に浸み出しているのが見つかった。さらに爆発事故を引き起こすガスも放出されていた。 主な浄化作業は2005年に完了したが、この地域の水と空気の監視は続けられている。 ナンシー・ニコルズ著『レイク・エフェクト』では、ウォキーガン市民のPCB浄化への努力が記されている。 著名な出身者リー・イングランド・ジュニアウォキーガンは世界的に知名度の高いバイオリニストであるリー・イングランド・ジュニアの生まれ故郷である。彼は初めてナイキのジョーダン・ブランドと契約したアスリート以外の人物である。 彼の音楽的才能や、心を捉えるような逸話、音楽に注目してもらうためにした努力などに光を当てた多くの出版物で取り上げられている。彼はスティーヴィー・ワンダー、T-ペイン、エイス・フッド、他にも多くの著名なアーティストと共演した。 ジャック・ベニーウォキーガンは、20世紀で最も有名で不朽のエンターテイナージャック・ベニー(1894–1974)の故郷である。彼は数十年にもわたり、ラジオやテレビショーなどでウォキーガンで生まれたと主張していたが、実際にはシカゴのマーシー病院で生まれた。 ベニーが少年時代を過ごしたこの町への愛情は、彼の共演者(であり妻)のメアリー・リヴィングストンとのやり取りからはっきりと感じ取ることができる。以下は1950年の母の日、コメディ番組の『ザ・ジャック・ベニー・プログラム』で、彼の夏のツアー計画について交わされた会話の一部である。
1959年のテレビ番組『What's My Line?』(パネラーがゲストの名前や職業を当てるクイズ番組)では、ベニーは司会のジョン・デイリーに冗談を飛ばした。
とは言うものの、何年間もベニーは数百万人のリスナー(後に視聴者)にウォキーガンを注目させており、この町も彼の活躍に誇りを持っている。 ウォキーガン中学校は彼の栄誉を称えてジャック・ベニー中学校と改名された。このことについて、ベニーはこの上ない喜びだと語っている[9]。2002年にはジェネシー・シアターの向い側に彼の銅像が建てられた。 ジェネシー・シアターは彼の出演した映画『マン・アバウト・タウン』(1939年公開)のワールドプレミアを主催した場所であり、ジャック・ベニー、メアリー・リヴィングストンのほか、ドロシー・ラムーア、フィル・ハリス、アンディ・ディヴァイン、ドン・ウィルソン、ロチェスター(エディ・アンダーソン)などがステージに登場した。 ジャック・ベニーがウォキーガンで育ったころ、彼の家族はいくつかの建物で暮らしていたが、現在はクレイトン・ストリート518番地にある住居が残っているのみである。この建物は2006年4月17日に市のランドマークに指定された[10]。 レイ・ブラッドベリSF作家、幻想文学作家のレイ・ブラッドベリはウォキーガンで生まれた。彼は少年期に西海岸へ移ったが、彼の作品の多くは、人格形成の時期を過ごしたウォキーガン(『たんぽぽのお酒』など、彼の作品中ではよくグリーンタウンという名前でよばれる )に明らかに基づいている [11][12]。 その他の著名人
教育市内の公立学校はウォキーガン第60公立学区が管轄している。幼稚園生から第12学年まで合計約17,000人の児童を抱えている。市内には3つの幼稚園、15の小学校、5つの中学校、3つの高校がある。 幼稚園
小学校
中学校
高校
ウォキーガン高校は1870年に設立された。1975年に、ウォキーガン・ウェストライダーズ、ウォキーガン・イーストブルドッグズの2つの高校に分かれた。1990年に2つの高校のスポーツチームが統合され、1991年秋には高校自体も統合された。 高校のニックネームはブルドッグズとなったが、ライダーズを表す海賊の眼帯もブルドッグの絵に追加され、またライダーズのスクール・カラーである紫、緑、金も追加された。2000年秋、より多くの生徒を受け入れるために第9学年センターを創設した。 交通ウォキーガンには港湾地区があり、ウォキーガン港とウォキーガン地域空港がある。
レイク郡マクローリー遊歩道がウォキーガンを通過している。ケノーシャからノースショアに至る自動車通行不可の道路であり、シカゴ・ノースショアー・アンド・ミルウォーキー鉄道の線路跡に沿っている。 メトラはウォキーガンとシカゴのダウンタウンを結ぶユニオンパシフィック/ノースラインを運行している。列車は毎日早朝から深夜まで運行される。ウォキーガンと周辺地域を結ぶ公共バス路線はペース(Pace)が運行している。ほとんどの路線は月曜日から土曜日までの運行で、日曜・祝日の運行は2路線のみである。 市内にはライセンスを取得したタクシー会社が3社ある。303タクシー、イエロー&チェッカー・カブス、スピード・タクシーの3社で、いずれも市の条例の下で営業している。 史跡
大衆文化の中で
姉妹都市脚注
外部リンク |
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