ウィリー・アイバー
ウィリー・デル・ヘスース・アイバー・マルケス(Willy Del Jesus Aybar Marquez、1983年3月9日 - )は、ドミニカ共和国・ペラビア州バニ出身の元プロ野球選手(内野手)。右投げ両打ち。 弟も同じくプロ野球選手のエリック・アイバー。 経歴ドジャース時代2000年にロサンゼルス・ドジャースと契約を結び、プロ入りを果たした。 2005年8月31日のシカゴ・カブス戦でメジャーデビューを果たした。短い期間ながら打率.326、打点10、3盗塁と結果を残した。シーズン終了時点で正三塁手の候補者の1人であったが、ドジャースは正三塁手としてビル・ミラーと契約した。また控えとしてラモン・マルティネスと契約したため、アイバーの出場機会は失われた。さらにアイバー自身もオープン戦で打率.216と結果を残すことができなかった。 2006年5月12日、ミラーが膝の内視鏡手術で故障者リストに入ったことにより三塁手として先発出場を果たした。 ブレーブス時代2006年7月28日にダニス・バエスと共にウィルソン・ベテミットとのトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍。 2007年4月15日、アイバーは故障した手の治療を無断で欠席したことによりアトランタ・ブレーブスから3試合の出場停止処分を受けた[1]。さらに出場停止処分明けとなった4月18日にも無断欠場を行ったため、チームは無期限の出場停止処分を下した[2]。結局8月4日に処分が解かれ3Aでプレーすることになった。しかし8月14日、シーズン絶望となる右手の負傷をおってしまい、2007年はアイバーにとって失意の年となってしまった。 レイズ時代2008年1月17日にジェフ・リッジウェイとのトレードで、チェイス・フォンテインと共にタンパベイ・レイズへ移籍した。 2009年開幕前の3月に第2回WBCのドミニカ共和国代表に選出された[3]。第2ラウンド進出をかけたオランダ戦では同点で迎えた延長11回裏にサヨナラ失策を犯し、チームの予選敗退を招いてしまった。 シーズンでは一塁手、二塁手、三塁手のユーティリティとして初の100試合以上出場を果たし、本塁打数と打点でも自己新記録をマークした。 2010年は5月下旬に解雇されたパット・バレルに代わり対左のDHとして起用され、得点圏打率.280と勝負強さを発揮し自己最多の打点を記録した。オフには年俸220万ドルの球団オプションが行使されなかったためFAとなった。 ラッツ時代2011年1月11日に独立リーグ・ノース・アメリカン・リーグのエドモントン・キャピタルズと契約を結んだが、カナダ政府が滞在ビザの発行を許可しなかった為、放出された。その後、同じノース・アメリカン・リーグのユマ・デザート・ラッツと契約を結んでプレーした。 ドルフィンズ時代2012年は、メキシカンリーグのシウダーデルカルメン・ドルフィンズでプレーした。 2013年は所属球団がなかった。2014年11月には2014年中央アメリカ・カリブ海競技大会の野球ドミニカ共和国代表に選出された。同大会で銅メダルを獲得した。 ライオンズ時代2015年はメキシカンリーグのユカタン・ライオンズと契約。6月9日に自由契約となった。 カウボーイズ時代2015年6月12日にラグナ・カウボーイズと契約。7月11日に解雇となる。 選手としての特徴
詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
背番号
代表歴
脚注
関連項目外部リンク
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