ウィリアム・ブロムリー (英語 : William Bromley 、1699年 洗礼 – 1737年 3月12日 )は、グレートブリテン王国 の政治家。1725年から1735年までと1737年2月から1737年3月まで庶民院 議員を務めた。
生涯
庶民院議長 ウィリアム・ブロムリー と4人目の妻エリザベス・ストール(Elizabeth Stawll 、初代ストール男爵ラルフ・ストール (英語版 ) の娘)の間の次男として生まれ、1699年に洗礼を受けた[ 1] 。1714年よりウェストミンスター・スクール で教育を受けた後[ 2] 、1717年2月27日にオックスフォード大学 クライスト・チャーチ に入学した[ 3] 。1721年から1724年までグランドツアー に出てフランスとイタリアを旅した[ 4] 。1732年5月19日、オックスフォード大学オリオル・カレッジ からD.C.L. (英語版 ) の学位を授与された[ 3] 。
1725年3月、フォイ選挙区 (英語版 ) の補欠選挙に出馬して、無投票で庶民院 議員に当選した[ 5] 。1727年イギリス総選挙 でウォリック選挙区 (英語版 ) に転じ、無投票で当選した[ 6] 。議会では常に野党側で投票し、1732年に父が死去するとトーリー党 の指導者の1人になり[ 4] 、1734年3月13日に1716年七年議会法 (英語版 ) の廃止を動議したが、直後に議会が解散された[ 2] 。これにより総選挙 が行われ、ブロムリーは第8代ブルック男爵フランシス・グレヴィル の支持を得て一旦は当選するものの、対立候補の選挙申し立てにより1735年2月に落選を宣告された[ 6] 。
1737年2月、オックスフォード大学選挙区 (英語版 ) の補欠選挙でホイッグ党 候補に大差(329票対121票)で勝利したが[ 7] 、直後の3月12日に病死した[ 2] 。初代エグモント伯爵ジョン・パーシヴァル の日記によると、ブロムリーの深酒が病気の一因だったという[ 1] [ 4] 。
人物と私生活
グランドツアーの最中の1721年、フランス[ 1] でジェームズ老僭王 に謁見したことがあり、老僭王の秘書官は1740年の手紙でこのことを回想して「誠実なジェントルマンだったが、秘密を保持できるような人ではなかった」(he was a mighty honest gentleman, but not of a turn of keeping a secret )と述べている[ 4] 。
1724年7月2日、ルーシー・スロックモートン(Lucy Throckmorton 、1773年没[ 8] 、クレメント・スロックモートンの娘)と結婚して、2男1女をもうけたが、2人の仲は悪く、ルーシーが不倫関係を持ち、ブロムリーが深酒に走るという結果となった[ 1] 。
ウィリアム・スロックモートン (1726年? – 1769年) - 庶民院議員。1756年5月、ブリジット・デイヴェンポート(Bridget Davenport 、リチャード・デイヴェンポートの娘)と結婚、子供あり[ 9]
出典
^ a b c d Carter, Philip (23 September 2004). "Bromley, William". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi :10.1093/ref:odnb/3516 。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入 。)
^ a b c Stephen, Leslie , ed. (1886). "Bromley, William (1699?-1737)" . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 6. London: Smith, Elder & Co . p. 404.
^ a b Foster, Joseph , ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (A to D) (英語). Vol. 1. Oxford: University of Oxford. p. 166.
^ a b c d Matthews, Shirley (1970). "BROMLEY, William, jun. (?1701-37), of Baginton, Warws." . In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月30日閲覧 。
^ Cruickshanks, Eveline (1970). "Fowey" . In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月30日閲覧 。
^ a b Matthews, Shirley (1970). "Warwick" . In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月30日閲覧 。
^ Cruickshanks, Eveline (1970). "Oxford University" . In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月30日閲覧 。
^ "Memorials of the Family of Bromley" . The Gentleman's Magazine (英語). Vol. XXXI. January 1849. p. 28.
^ Brooke, John (1964). "BROMLEY, William Throckmorton (?1726-69), of Baginton, nr. Coventry, Warws." . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月30日閲覧 。