イーライ・ホワイトサイド
ダスティン・イーライ・ホワイトサイド(Dustin Eli Whiteside, 1979年10月22日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピ州ニューアルバーニー出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 経歴プロ入り前WPダニエル高校を卒業し、デルタ大学に進学した。 オリオールズ時代2001年のMLBドラフト6巡目(全体173位)でボルチモア・オリオールズから指名され、入団[1]。 2005年7月4日にジェロニモ・ギルの離脱にともないメジャーに昇格し[2]、翌5日には、メジャーデビューを果たした[3]。一度、マイナーに戻り、9月に再度昇格を果たした[4]。 2007年にFAになり、退団した。オリオールズには6年間在籍したが、メジャーでプレーしたのはたったの9試合だけだった[5]。 ツインズ傘下時代2008年の開幕前にミネソタ・ツインズと契約した。しかし、AAA級ロチェスター・レッドウイングスで8試合に出場しただけで4月30日に放出された[6]。 ジャイアンツ時代ツインズ退団の5日後にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約し、AAA級フレズノ・グリズリーズでプレーした。2008年は一度もメジャーでプレーする事は無かった。 2009年は開幕をAAA級フレズノで迎えたが。5月24日に離脱したパブロ・サンドバルの代わりに昇格し、ベンジー・モリーナの控えとなった[7]。これによって、イーライは4年ぶりにメジャーでプレーする事となり、また、初めてナショナル・リーグでプレーする事となった。8月5日にはヒューストン・アストロズ戦でブライアン・モーラーからメジャー初本塁打となる満塁本塁打を放った[8]。 2010年には、チームがサンフランシスコに移転後初めてのワールドシリーズ優勝を果たし、ホワイトサイドはバスター・ポージーのバックアップとして初の優勝を経験した[5][9]。 2011年は5月25日にバスター・ポージーがクロスプレーで負傷し、シーズン中の復帰となったため、クリス・スチュワートと併用される形で出番が増えた。 2012年は開幕をAAA級フレズノで迎えた。7月18日にヘクター・サンチェスが故障者リスト入りしたため昇格した[10]。 レンジャーズ傘下時代2012年11月5日にウェーバーでニューヨーク・ヤンキースへ移籍。11月28日にDFAとなる[1]。12月3日に再度ウェーバーでトロント・ブルージェイズに移籍した[11]。12月12日にまたもウェーバーでテキサス・レンジャーズに移籍した[12]。 2013年1月3日にDFAとなり[1]、1月4日にAAA級ラウンドロック・エクスプレスに降格[1]。オフの10月1日にFAとなった[1]。 カブス時代2013年11月15日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ。[13] 2014年6月3日に2年ぶりにメジャー昇格した[1]。6月22日にDFAとなり[1]、25日にAAA級アイオワ・カブスに降格した[1]。9月29日にFAとなった[1]。 引退後2014年11月1日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだが[1]、2015年1月26日に現役引退を表明[14][1]。 その後、ジャイアンツのブルペン捕手に就任した。 詳細情報年度別打撃成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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