イヌヤチスギラン
イヌヤチスギラン(犬谷地杉蘭[4]、Pseudolycopodiella caroliniana)は、ヒカゲノカズラ科に属する小葉植物の一種。ヤチスギランに似るが、葉の形態などから区別される[5]。 ヤチスギランに似た外見をしているため、この名が付けられた[4]。 形態胞子体茎は直立茎と匍匐茎の区別がある[6]。匍匐茎は湿地を這い、径 8–12 mm(ミリメートル)[7]。長さは 10 cm(センチメートル)前後[8]。匍匐茎はところどころで二又分枝する[7][6]。疎らに根を内生発生し[7][9]、葉をやや密に付ける[7]。 葉は鋭尖頭で、全縁[7][8][6]。匍匐茎に付く葉(小葉)はやや二形を示す[5][7][8][10]。背側の葉が線形から線状披針形であるのに対し、腹側の葉はそれより大きく披針形から狭楕円形である[7][10]。長さは3–7 mm、幅は1.3–2.1 mm[7][11]。線形の方の葉はより狭く、長さ 4 mm、幅 0.5 mm[8]。中肋は不明瞭[7]。胞子葉と栄養葉も形態が異なり[12][13]、胞子葉が広卵形であるのに対し、栄養葉は針形・線形から披針形[12]。 直立茎は匍匐茎から分かれ出て、先端に胞子嚢穂を単生する[7][8][6]。直立茎は分枝せず[6]、高さ 5–30 cm[7]。梗は長さ 4–6 cm[10]。葉を含む径は 1.5–3 mm[7]。胞子嚢穂の長さは 1–9(–12) cm、径は 2.5–5 mm[7][注釈 1]。フロリダ産の標本では直立茎の長さが 40 cm 前後に達するものもある[8][注釈 2]。 胞子葉は広卵形で鋭尖頭[15][7][16]。長さは短く、3 mm 前後[16]。幅は約 2 mm[16]。先端部は芒状となり、基部は楔形[8]。基部は茎に沿着し、それより上部の胞子嚢を付ける部分の幅が最も広くなる[8]。胞子葉は斜上して先端が開出する[7]。辺縁は膜質で、不規則な鋸歯縁を持つ[7][8][10][16]。胞子が成熟すると開く[10]。胞子嚢は横裂開し、腎臓型で 1.5 mm[16]。 胞子嚢穂の柄(梗)に葉が密生するヤチスギランとは異なり、柄には葉が疎らに付く[12][16]。直立茎の葉は斜上し、線状披針形で全縁[7]。長さは 3–5 mm、幅は 0.5–0.7 mm[7]。梗の葉の長さが3–10 cm であるヤチスギランに対し[15]、イヌヤチスギランのものは遥かに短い[16]。 倍数性と染色体日本の個体群の倍数性は2倍体で、海外では3倍体や4倍体の報告もある[4]。染色体数は n = 68 で、海外では 2n = 78 の報告がある[7][5]。報告されている限り、かなり変異があるらしいとされる[17]。イヌヤチスギラン属の基本染色体数は x = 78 で基本染色体数が x = 35 であるヤチスギラン属とは異なり、雑種形成も起こらないとされる[2]。 配偶体と胚発生ヤチスギランに近縁な群(Lycopodielloideae)では、背腹性を持ち、緑色の地上生配偶体を形成する[4][18][19]。本種の配偶体もこの緑色で地表性タイプのものである[20]。 こういった種の多くは、胚には足とともに原茎体(プロトコルム)と呼ばれる球状の組織が形成される[19]。しかし、イヌヤチスギランでは足はできるが、原茎体を欠く[19]。出現する胞子体には1枚の原葉と、葉を具えたシュート頂が形成される[19]。 生態常緑性とされるが[7]、日本のものは夏緑性[6]。生育期の終わりには匍匐茎先端の肥大した部分のみが生き残り、越冬する[17][6]。山地のやや日当たりの良い湿地に生育する[8][5]。 地面に張り付くように匍匐してシュートを伸ばすため、周囲の植物による日陰に敏感で、藻類マットやコケ植物との競争が深刻となる[21]。 胞子嚢穂は9月から10月にかけて成熟する[3]。これはヤチスギランの胞子嚢穂が晩夏に形成される[22]のに比べるとやや遅い。 分類イヌヤチスギランの属するヒカゲノカズラ科はかつて、フィログロッスム属以外をすべてヒカゲノカズラ属にまとめる分類が行われてきた[23][24]。そのため、イヌヤチスギランも Lycopodium carolinianum L. とされた[7][4]。 しかし、この方法では非常に多様なボディプランの種を一つの属に含んでしまい[23][9]、分子系統解析においても旧ヒカゲノカズラ属は側系統群となっていた[25][26]。広義のヒカゲノカズラ属に分類されていたときからヤチスギランやミズスギと近縁であることが示唆されており、ミズスギ亜属 subg. Lycopodiella とされることもあった[17]。一方 Baker (1887) のように、葉の二形性により subg. Diphasium とする考えもあった[20]。 現在では旧来のヒカゲノカズラ属は細分化され、PPG I 分類体系 (2016) などでは、イヌヤチスギランは約10種を含むイヌヤチスギラン属[4] Pseudolycopodiella に置かれる[27][28]。イヌヤチスギラン属は本種イヌヤチスギランをタイプとし、Holub (1983) によって発表された[28]。秦仁昌の分類体系 (1981) では日本のヒカゲノカズラ科に2科7属を認め、イヌヤチスギランはヤチスギラン属とされた[23]。日本では長らく統一的な分類体系は提唱されず、図鑑でも旧来の分類体系が用いられることが多かった[23][4]。PPG I (2016) では、ヒカゲノカズラ科に3亜科16属を認め[27]、イヌヤチスギランはイヌヤチスギラン属 Pseudolycopodiella とされる[27][28]。 なお、ヤチスギラン属をPPG I分類体系における Lycopodielloideae 亜科の範囲とし、イヌヤチスギランはヤチスギランやミズスギなどとともにヤチスギラン属に分類されることもある[4]。ヤチスギラン属に置かれる場合、学名は Lycopodiella caroliniana (L.) Pic.Serm., 1968 とされる[4]。
系統関係Chen et al. (2021) による分子系統解析に基づくヒカゲノカズラ科現生属の内部系統関係を示す[26]。分子系統解析によりPPG I (2016) で認められた3亜科の単系統性は強く支持される[31]。イヌヤチスギラン属は Lycopodielloideae のうち、ヤチスギラン属と姉妹群をなす[28][注釈 8]。Field et al. (2015) の分子系統解析では、イヌヤチスギランはミズスギ属 Palhinhaea および Lateristachys からなるクレードと姉妹群をなし、ヤチスギラン属はその外群となっていた[25]。
分布と分類汎世界的に生息するとされるが[4]、各地に隔離分布する[7][10]。熱帯および亜熱帯が中心であるが[28]、温帯にも分布する[20]。分布域はアジア(日本・中国・インド・スリランカ・インドネシア・ニューギニア島)・マダガスカル・アフリカ・アメリカ(北米・中米・南米)[4][10][32]。寒い地域には分布しない[7][10]。 日本国内では滋賀県の1地点の湿地にのみ分布する[4][7][33][10][5]。 近年では分布域ごとに細分化されることもある[34]。その場合、イヌヤチスギラン属のタイプ種である[34][35]、狭義の Pseudolycopodiella caroliniana はアメリカ合衆国およびキューバのみに分布するとされる[34]。Pseudolycopodiella caroliniana の基準産地はアメリカ合衆国のカロライナ州である[4][5]。 一方、日本のものはアジアに分布する個体群とともに田川基二の記載した Pseudolycopodiella subinundata とされる[36]。田川は1941年に滋賀県の標本に基づいて新種イヌヤチスギラン Lycopodium subinundatum として記載した[16][注釈 9]。これは1930年(昭和5年)9月に山本寛二郎が滋賀県の湿地から発見したものである[16]。この際採集された標本は京都大学の腊葉標本室に寄贈された[16]。田川はこれに気付き、1940年10月に田川の依頼により橋本忠太郎が山本の同行のもと再び採集した[16]。この標本によりヤチスギランとの違いが確認され、記載されることとなった[16]。 イヌヤチスギラン属 Pseudolycopodiella Holub (1983) には以下の種を含む[34]。
保全状況日本国内では滋賀県のただ1箇所の湿地にしか自生しておらず、かつその湿地も乾燥化が進んでいる[7]。環境省レッドリストでは絶滅危惧IA類(CR)に指定されている[51][52]。 大阪公立大学附属植物園では域外保全の試みがなされているが[53][54]、匍匐性のヒカゲノカズラ科の栽培は難しく[55]、特にイヌヤチスギランは脆弱で[21]、個体数の回復には至っていない。 脚注注釈
出典
参考文献
ウェブサイト
外部リンク
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