アスヒカズラ属
アスヒカズラ属(アスヒカズラぞく、Diphasiastrum)は、ヒカゲノカズラ科に属する小葉植物の一属である[2][3]。4列で3種類の栄養葉を持つ共有派生形質により特徴づけられる[4]、単系統群である[3]。日本産では、アスヒカズラ D. complanatum、タカネヒカゲノカズラ D. nikoense、チシマヒカゲノカズラ D. alpinum(および変種ミヤマヒカゲノカズラ D. a. var. planiramulosum)が知られる。 形態胞子体他の小葉類と同様、胞子体は根・茎・葉の区別がある[5]。ヒカゲノカズラ科の植物は一般に、根や茎が二次肥大成長を行わない[5][2]。アスヒカズラ属は不等二又分枝を行い、地表または地中を匍匐して水平方向に伸びる匍匐茎(根茎)と、直立または斜上する常緑で地上性の側枝からなる[6][4]。匍匐性の根茎は、多年生である[4]。茎の中心柱は板状中心柱で、篩部と木部が交互に配列する[7]。 葉は小葉で[8][9]、植物体を覆う栄養葉と胞子嚢穂を構成する胞子葉が区別される(二形性)[4]。 多くの種で4列に並ぶ葉を持つ茎があり[6][4]、葉を含めた茎の幅 1–5 mm[4]。栄養葉はほぼ全長にわたって茎に沿着して癒合し、四角形状の平たい枝を形成する[6][4]。側枝は一般に分枝し、末端の分枝は水平に広がるか斜上する[4]。背側と腹側にそれぞれ1列の幅の狭い形状の鱗片状の栄養葉を持ち、側方に2列の幅の広い鱗片状の栄養葉がある[4]。この背葉、腹葉、側葉の3種類の異形葉を持つことは[10]、アスヒカズラ属の共有派生形質である[4]。ただしタカネヒカゲノカズラの葉は基部は圧着するものの、5列に並び、ほぼ同形である[11][12][13][14][注釈 1]。 根は原基がシュート頂付近に形成され、茎の内部にある維管束外周の基本分裂組織 (ground meristem)[注釈 2]腹側から内生発生する[16][7][17]。ヒカゲノカズラ科でも、直立性のコスギラン属などでは、根が茎の皮層を通って植物体の基部まで伸び(inner root という状態[7])、表皮を突き破って発根するが[16]、アスヒカズラ属のような匍匐性の種では維管束に対して垂直に伸び、より直線的に根を生じる[16][7][17]。ただしこの状態で表皮を突き破らずに一時的に留まる場合があり、arrested root と呼ばれる状態となって、茎の断面で小丘として確認できるようになる[7]。 根の頂端の中央にはQC様領域があり、type I RAM と呼ばれる開放型根端分裂組織である[15]。この特徴はヒカゲノカズラと共通し、アスヒカズラ属ではアスヒカズラおよびタカネヒカゲノカズラで確認されている[15]。 アスヒカズラ属 Diphasiastrum の胞子嚢穂 生殖器官は明瞭な胞子嚢穂を形成する[6]。胞子嚢穂は明瞭な柄(総梗)を持ち、同等二又分枝する[4]。胞子葉は胞子の分散のために特殊化し[18]、栄養葉に比べ幅広い形状となっている[4]。胞子葉は胞子嚢を葉上につけ[19]、胞子嚢の裂開後に枯れる[1]。 胞子は網目状の装飾を持ち[4]、これはヒモヅルと Pseudolycopodium を除くヒカゲノカズラ亜科の共有派生形質である[20]。 配偶体配偶体は地中性で、小さいニンジン状の円錐形をなす[6][21][22][23]。ヒカゲノカズラに見られる片巻き状の縁を持つ円盤状の配偶体 Type I に対し、このニンジン状の配偶体は Type II と呼ばれる[24]。配偶体の長さは 8–25 mm、幅は 2.5–13 mm で、配偶子嚢を持つ帽子状の部位(gametangial cap)と狭窄した頸部(環状分裂組織; ring meristem)、細く伸びる基部(basal portion)の3領域からなる[25][24]。この地中性配偶体の寿命は長く、辺縁部の環状の分裂組織により大きくなる[25]。側糸を欠き、葉緑体を持たないため[21]、無色から褐色[25]。 配偶体は雌雄同株で、造精器と造卵器の2種類の配偶子嚢が異なるクラスターを形成する[24]。 基部の表面には多くの単細胞の仮根(rhizoid)が覆う[24]。仮根は環状分裂組織の下側の肩にあたる部分から発生し、その付近に最も多く見られる[24]。基部には内生菌が共生する[24]。 生態いわゆるシダ植物であり、配偶体世代と胞子体世代の単複相が世代交代を行う生活環を持つ[26]。 胞子体の生育環境基本的に貧栄養を好む[27]。特に、D. digitatum では肥料を施すと、植えつけた株の定着が妨げられることが知られている[27]。 アスヒカズラは日当たりのよい野山や樹林下に生える[10][28]。亜高山帯に生育し[29]、高山植物ともに生育することもある[28]。タカネヒカゲノカズラやチシマヒカゲノカズラは高山帯に生育する[12][30][31]。特に前者は日向の岩礫地や草地、やや陰になった地上に生え[11]、地衣類などに囲まれて生育する[12]。後者は苔の生えている斜面や日向、やや酸性の土壌に生育する[31]。北アメリカに分布する D. digitatum では、乾燥から中湿性(mesic)の森林や開けた場所に生息し、特に遷移段階のマツ林などの攪乱された場所でよく観察される[4]。D. tristachyum は乾燥した森林や草地、裸地や荒地、森林の開けた場所で見られる[4]。 チシマヒカゲノカズラは大葉シダ植物も含めたシダ植物のうち、北半球で最も高緯度まで分布を広げている種の一つである[32]。 また、D. tristachyum などの種では、安定して開けた場所に「妖精の輪 (fairy circle)」を形成することが知られている[19][33]。これは、中心から成長した匍匐する根茎が、外周部では盛んに成長し、前年に成長した部分の群落が枯れることで形成される[19]。これは円形になり、指数関数的に直径が拡大する[19]。1964年に直径 11.25 m と測定された妖精の輪は1839年に起源すると見積もられている[19][33]。 配偶体の形成と生育環境地中性であることもあり配偶体の観察例は少なく、これまでアスヒカズラ[22]、Diphasiastrum digitatum[21][24] および Diphasiastrum sitchense[23]の地中性配偶体が発見されている。アメリカのアスヒカズラでは、ストローブマツの乾燥し開けた林床で見つかる[22]。D. digitatum はミシガン州のバンクスマツの植林地で見つかっている[21]。ほとんどの配偶体からは1つの胞子体が発生するが、5つの胞子体が発生している観察例もある[21]。ときに草食動物により食害される[24]。 長い成熟器官を要するため、人工的に配偶体を得るのは難しい[25]。Freeberg & Wetmore (1957) は D. digitatum の胞子発芽に成功したと発表したが、これは実際にはミズスギの胞子がコンタミネーションしたものであった[25]。Whitter (1981) は D. digitatum の胞子を暗黒下で培養瓶内に6か月以上静置し、発芽させて配偶体を得た[25][34]。この実験環境下で形成された配偶体に光を当てると、緑色となった[25][34]。 染色体と倍数性基本染色体数は n = (2×11)+1 = 23[6][1]。 本属を含むヒカゲノカズラ亜科では、コスギラン属のように無性芽による無性生殖は行わない[4]。チシマヒカゲノカズラでは外国産で2倍体有性生殖の報告例がある[32]。アスヒカズラおよびタカネヒカゲノカズラは2倍体であるが、生殖様式の報告例はない[32]。 また本属は、広範な交雑やゲノム倍加によって複雑化な種構造をなす[35]。 上位分類と系統関係かつて同形胞子性の小葉類からなるヒカゲノカズラ科にはヒカゲノカズラ属 Lycopodium とフィログロッスム属 Phylloglossum の2属のみが区別されており[9][2]、アスヒカズラ属はヒカゲノカズラ属に内包されていた[2][1]。しかし、かつてのヒカゲノカズラ属はあまりにも広義であり、ボディプランが多様な種を多く含んでおり[2][36]、分子系統解析においても旧ヒカゲノカズラ属は側系統群となっていた[37][38]。そのため様々な細分化の試みがなされてきたが[2]、日本では長らく統一的な分類体系は提唱されず、図鑑でも旧来の分類体系が用いられることが多かった[2][1]。しかし、現在のアスヒカズラ属はヒカゲノカズラ属の中でも形態が異なることは認識されており、例えば武田 (1965)「異葉区」と呼ばれ、ヒカゲノカズラなどの等葉区とは区別された[29]。そこで Holub (1975) により、アスヒカズラをタイプとしてアスヒカズラ属 Diphasiastrum が設立された[39][35]。秦仁昌の分類体系でも、アスヒカズラ属はヒモヅル属、ヤチスギラン属、ミズスギ属などとともに独立属としてヒカゲノカズラ属から区別された[2]。 シダ植物の研究者コミュニティで広く認められる PPG I分類体系 (2016) では、ヒカゲノカズラ科は16属に分けられ、アスヒカズラ属 Diphasiastrum が認められる[3][注釈 3]。近年の研究では、基本的にこれと同じ属の扱いが行われている[4][38][20][36]。 独立属を認めずヒカゲノカズラ属に内包する場合、アスヒカズラ節 Lycopodium sect. Complanata とすることや[1][4][35]、アスヒカズラ亜属 Lycopodium subg. Diphasiastrum とすることがある[6]。また、1944年から1975年にかけては Diphasium C.Presl ex Rothm. に内包されることもあったが、現在では Diphasium はヨーロッパではなく熱帯または南半球に分布する小さな属となっている[35]。 系統関係Chen et al. (2021) による分子系統解析に基づく、ヒカゲノカズラ科現生属の内部系統関係を示す[38]。分子系統解析によりPPG I (2016) で認められた3亜科の単系統性は強く支持される[40]。このうち、アスヒカズラ属はヒカゲノカズラ亜科 Lycopodioideae に含まれる[3][38][36]。中でもアスヒカズラ属は、スギカズラ属 Spinulum および狭義ヒカゲノカズラ属 Lycopodium s.s. と近縁で、その2属からなるクレードと姉妹群をなす[38][20][36]。
下位分類タイプ種はアスヒカズラ Diphasiastrum complanatum (L.) Holub (≡ Lycopodium complanatum L.)[3][35]。この種のタイプ標本は Thulin et al. (2009) によりレクトタイプおよびエピタイプが指定された。 15種から20種を含む[4]。多くは北方の温帯から亜寒帯に分布する[4]。熱帯では高山に知られる[41]。PPG I (2016) では20種、Hassler (2025) では下記の18種が認められる。
多くの分類群は、アスヒカズラ(Diphasiastrum complanatum および Lycopodium complanatum)の亜種や変種として扱われてきた[35]。D. digitatum はかつてはアスヒカズラの1変種 Lycopodium complanatum var. flabelliforme と呼ばれた。台湾などの熱帯の高山に分布する Diphasiastrum multispicatum はかつてアスヒカズラと同種として扱われていたが[10]、胞子茎の先端に付く胞子嚢穂の個数がアスヒカズラより多く、葉の質が硬いことで区別される[32]。 北アメリカ大陸からカムチャツカ半島に分布する D. sitchense はタカネヒカゲノカズラ D. nikoense と酷似しており[11]、岩槻 (1992) では学名を保留しながらも区別できるものではないとされた。後者は前者より茎の先端が伸長してよく分枝する傾向にあるとされるが、識別は極めて困難である[32]。そのため、武田 (1965) や田川 (1959) ではこの変種 Lycopodium sitchense Rupr. var. nikoense (Fr, & Sav.) Takeda とされたが、しかし、分子系統解析の結果両者には遺伝的分化が認められるため[32]、別種として扱われる[32][44]。 雑種また本属には多様な交雑が知られている[35]。 以下の雑種が命名されている[45]。
注釈脚注
出典
参考文献
外部リンク
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