アースィフ・アリー・ザルダーリー

アースィフ・アリー・ザルダーリー
آصف علی زرداری


任期 2008年9月9日2013年9月9日
2024年3月10日 – 現職
首相 ユースフ・ラザー・ギーラーニー
ラージャ・パルヴェーズ・アシュラフ英語版
ナワーズ・シャリーフ
シャバーズ・シャリフ

任期 2007年12月30日2015年12月27日
共同議長 ビラーワル・ブットー・ザルダーリー

任期 1997年3月1999年10月12日

任期 1995年1996年
大統領 ファールーク・ラガーリー英語版
首相 ベーナズィール・ブットー

任期 1993年 – 1996年
大統領 ファールーク・ラガーリー
首相 ベーナズィール・ブットー

任期 1990年11月6日 – 1993年7月18日
1993年10月13日 – 1996年11月5日
2018年8月13日2023年8月10日
2024年2月29日 – 2024年3月9日

出生 (1955-07-02) 1955年7月2日(69歳)
パキスタンの旗 パキスタン自治領 連邦首都特別地域英語版カラチ
政党 パキスタン人民党
受賞
出身校 セント・パトリック高校英語版
配偶者 ベーナズィール・ブットー
(1987年 - 2007年)
子女 ビラーワル・ブットー・ザルダーリー(1988年 - )
バクタワール・ブットー・ザルダーリー(1990年 - )
アシーファ・ブットー・ザルダーリー英語版(1993年 - )
親族 ズルフィカール・アリー・ブットー(岳父)
宗教 イスラム教シーア派

アースィフ・アリー・ザルダーリーウルドゥー語: آصف علی زرداری, シンド語: آصف علي زرداري英語: Asif Ali Zardari, 1955年7月22日 - )は、パキスタン政治家。第11・14代大統領パキスタン人民党元共同総裁。パキスタン初の女性首相暗殺英語版されたベーナズィール・ブットーの夫。ビラーワル・ブットー・ザルダーリーの父。日本の報道では、アシフ・アリ・ザルダリとも表記される。

経歴・人物

2011年の訪日時、菅直人首相(当時)と

シンド州の有力政治家ハーキム・アリー・ザルダーリーの息子。同じく有力政治家ブットー家との結婚は一族同士の見合い結婚であったとされる。[2]ザルダーリー家はシーア派の有力一族で、ザルダーリーはカラチに生まれ、パキスタンでも最も裕福な家庭の1つで育った。

妻ベーナズィールの内閣で大臣を務めたが、在職中は関連予算の常に10パーセントを着服していると噂され、メディアにおいて通称「ミスター10パーセント」と悪名を冠されるほどであった。その後、この在職時の汚職疑惑によって8年間獄中にいた[3][4][5]。パキスタンで5番目の大富豪である。

2008年パキスタン大統領選挙英語版に出馬し当選。同年9月9日、第11代パキスタン・イスラム共和国大統領に就任した。2009年4月15日に来日している。

2010年の憲法改正(Eighteenth Amendment to the Constitution of Pakistan)でパキスタンが半大統領制から議院内閣制に移行したことにより、パキスタン大統領の行政府のトップとしての地位をユースフ・ラザー・ギーラーニー首相に移譲し、名誉職的な国家元首となった。

2011年5月にザルダーリーが軍によるクーデターを懸念していると記されたメモが当時アメリカ統合参謀本部議長であったマイケル・マレンの手に渡り、これが発覚したことで軍との関係が悪化したとされる。12月上旬に病気治療のためドバイに渡り、12月6日から14日まで入院し、その後も帰国ができない状況が続いていた[6]が、数日後に帰国した[7]

2013年9月8日、5年の任期を終え大統領職を退任した。その後もパキスタン人民党総裁として活発に活動している。

2024年3月9日に執行されたパキスタン大統領選挙英語版では、連立与党であるパキスタン・ムスリム連盟ナワーズ・シャリーフ派パキスタン人民党の推薦を受けて立候補。対立候補でパシュトゥンクワ・ミリ・アワミ党英語版から立候補したマフムード・カーン・アチャクザイ英語版を69.43%対30.57%で破り、当選[8]。翌10日に就任宣誓し2度目となる大統領に就任した[9]

参考資料

  1. ^ パキスタン基礎データ”. 2025年2月1日閲覧。
  2. ^ About.com, Asif Ali Zardari Profile
  3. ^ 防衛省OB太田述正アングロサクソン文明と軍事研究ブログ, ブット暗殺(その6)
  4. ^ 速報・パキスタン総選挙、ブットが勝った インド最前線 The Actual India 第133回
  5. ^ “Meet Mr. 10 Percent”. Chicago Tribune.com. (2008年9月13日). オリジナルの2008年9月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080915223436/http://www.chicagotribune.com/news/opinion/chi-0913edit2sep13,0,383985.story {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  6. ^ “パキスタン大統領、帰国できず…軍と関係悪化”. 読売新聞. (2011年12月18日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20111218-OYT1T00279.htm 2011年12月18日閲覧。  {{cite news}}: |work=|newspaper=引数が重複しています。 (説明)[リンク切れ]
  7. ^ “End to rumours as Zardari is back home”. Gulf News. (2011年12月20日). http://m.gulfnews.com/end-to-rumours-as-zardari-is-back-home-1.953903 2013年8月1日閲覧。 
  8. ^ 新大統領にザルダリ氏選出 故ブット元首相の夫―パキスタン 時事ネットコム 2024年3月9日配信 2024年3月9日閲覧
  9. ^ “Asif Ali Zardari Takes Oath As Pakistan's 14th President”. NDTV. (2024年3月10日). https://www.ndtv.com/world-news/asif-ali-zardari-takes-oath-as-pakistans-14th-president-5212833 2024年3月13日閲覧。 

外部リンク

公職
先代
ムハンマド・ミヤーン・スームロー英語版
(暫定)
パキスタンの旗 パキスタン・イスラム共和国大統領
第11代:2008年 - 2013年
次代
マムヌーン・フセイン
先代
アリフ・アルヴィ
パキスタンの旗 パキスタン・イスラム共和国大統領
第14代:2024年 -
次代
(現職)
党職
先代
ベーナズィール・ブットー
パキスタン人民党共同総裁
ビラーワル・ブットー・ザルダーリーと)

2007年 - 2015年
次代
(共同総裁制廃止)

 

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