アンドレイ・ルブレフ
アンドレイ・アンドレーエヴィチ・ルブレフ(Andrey Rublev, ロシア語: Андрей Андреевич Рублёв, 発音 [ɐnˈdrʲej rʊˈblʲɵf]; 1997年10月20日 - )は、ロシア・モスクワ出身の男子プロテニス選手。これまでにATPツアーでシングルス17勝、ダブルス4勝を挙げている。ATPランキング自己最高位はシングルス5位、ダブルス44位。身長188cm。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 2021年東京オリンピックの混合ダブルスで金メダル獲得。2023年モンテカルロ・マスターズ優勝者。2024年ムチュア・マドリード・オープン優勝者。 選手経歴ジュニア時代元ボクサーの父とテニスコーチの母のもとに生まれ[1]、3歳からテニスを始める。 2014年 プロ転向2014年全仏オープン男子ジュニアシングルスで優勝し、同年にプロに転向する。 2015年 ツアーダブルス初優勝2015年10月の地元クレムリン・カップのダブルスでドミトリー・トゥルスノフと組み優勝。 2017年 全米ベスト8 ツアー初優勝 トップ50入り![]() 2017年前半はチャレンジャーツアーで成果を挙げ、6月末にトップ100入り。7月のクロアチア・オープンでは予選決勝で敗れたが、欠場者が出たことによりラッキールーザーとして出場し、前年覇者のファビオ・フォニーニらを下し決勝に進出した。決勝ではパオロ・ロレンツィを6–4, 6–2で破りATPシングルスツアー初優勝を果たした[2]。 全米オープンでは2回戦で第7シードのグリゴール・ディミトロフに7–5, 7–6(3), 6–3で、4回戦で第9シードのダビド・ゴファンに7–5, 7–6(5), 6–3で勝利し、ノーシードから自身初のベスト8進出を果たす。準々決勝で第1シードのラファエル・ナダルに1–6, 2–6, 2–6で敗れた。新設されたネクストジェネレーション・ATPファイナルに出場すると決勝進出を果たしたが、鄭現に敗れた。年間最終ランキングは39位。 2018年 マスターズダブルス準優勝2018年は1月のカタール・エクソンモービル・オープンで準優勝。マイアミ・オープンのダブルスで準優勝。 しかし、モンテカルロ・マスターズの2回戦で敗退後に腰の故障で離脱し、全仏オープンとウィンブルドンは欠場した。7月のクロアチア・オープンで復帰[3]。年間最終ランキングは68位。 2019年 ツアー2勝目 トップ25入り![]() 全豪オープンではマッケンジー・マクドナルドに4-6, 4-6, 6-2, 4-6で初戦敗退。3月のイチャレンジャー・インディアンウェルズでは決勝でカイル・エドマンドに3-6, 2-6のストレートで敗れ、ATPチャレンジャーツアーで準優勝。BNPパリバ・オープンではラッキールードとして、2回戦で同胞のカレン・ハチャノフに5-7, 3-6のストレートで敗退した。マイアミ・オープンでは3回戦でデニス・シャポバロフに敗れた。 モンテカルロ・マスターズでは予選を通過するもファビオ・フォニーニに6-4, 5-7, 4-6で初戦敗退。その後のクレー・芝シーズンでは予選敗退が続いた。ウィンブルドン選手権では1回戦でクリスチャン・ガリンに4-6, 6-4, 7-5, 6-4で破り、2回戦ではサム・クエリーに6-3, 6-2, 6-3で敗れた。7月ではドイツ国際オープンでは決勝進出。決勝ではニコロズ・バシラシビリに5-7, 6-4, 3-6で敗れ、準優勝。 ウエスタン・アンド・サザン・オープンでは予選を通過し、2回戦でスタン・ワウリンカを6-4, 6-4のストレートで下し、3回戦では第3シードのロジャー・フェデラーを6-3, 6-4で下す。全米オープンでは1回戦で第8シードのステファノス・チチパスを6-4, 6-7(5), 7-6(7), 7-5で破るなどトップ10から3勝を挙げた。さらに10月には地元開催のクレムリン・カップ決勝でアドリアン・マナリノを6-4, 6-0で圧勝し、誕生日に優勝を果たす。ツアー2勝目を挙げた[4]。年間最終ランキングは23位。 ![]() 2020年 全仏ベスト8 ATPファイナルズ初出場 世界8位2020年は年始のカタール・エクソンモービル・オープンで決勝に進み、予選から勝ち上がったコレンティン・ムテを破りツアー3勝目を挙げ、同時に自身初のトップ20入り[5]。また、次週のアデレード国際でも決勝でロイド・ハリスをストレートで破り、2週連続優勝を果たす[6]。全豪オープンでも3回戦で第11シードのダビド・ゴファンを下すように好調ぶりを見せたが、4回戦でアレクサンダー・ズベレフに敗れ、開幕からの連勝は11で止まった。3月から新型コロナウイルス感染症の流行でツアーが中断したのち、全米オープンでベスト8入り。ドイツ国際オープンでは2年連続で決勝に進出し、ステファノス・チチパスを下して前年の雪辱を果たす。続く全仏オープンもベスト8入りしたが、準々決勝ではチチパスにリベンジされた。大会後のランキングで10位となりトップ10入りを果たす。サンクトペテルブルク・オープンとエルステ・バンク・オープンでも優勝し、シーズン5勝をあげる活躍を見せた[7]。ATPファイナルズに初出場したが、1勝2敗で敗退となった。シーズン後には「最も上達した選手」に選出された。年間最終ランキングは8位。 2021年 全豪ベスト8 マスターズ準優勝 五輪金メダル ATP杯初優勝 デビス杯初優勝 世界5位2021年はATPカップで全勝し、ロシアの優勝に大きく貢献した[8]。 全豪オープンではすべてストレート勝利で8強入りしたが、準々決勝で同胞のダニール・メドベージェフに敗れた。続くABNアムロ世界テニス・トーナメントでマートン・フチョビッチを下して優勝し、ATP500レベルでは4大会連続優勝となった。カタール・エクソンモービル・オープンのダブルスに同胞のアスラン・カラツェフと組んで出場し、2勝目をあげた。ドバイ・テニス選手権ではATP500大会での連勝記録を歴代2位となる23まで伸ばしたが[9]、準決勝でカラツェフに敗れ、記録はストップした。マイアミ・オープンではマリン・チリッチ、セバスチャン・コルダらをストレート勝ちでベスト4入り。準決勝でホベルト・ホルカシュに敗れた。 クレーシーズンではモンテカルロ・マスターズでは準々決勝でラファエル・ナダル、準決勝でキャスパー・ルードらを下してマスターズ1000初の決勝進出。決勝ではステファノス・チチパスに敗れ、準優勝に留まったが、4月19日付のランキングで自己最高の7位に到達した。ローマ・マスターズではベスト8入り。全仏オープンでは第7シードとして出場したが、1回戦でヤン=レナード・ストルフにフルセットの末敗退した。 芝シーズンになり、初戦のハレ・オープンで決勝進出。しかし、決勝ではウゴ・アンベールに敗れて準優勝。ウィンブルドンでは第5シードとして出場。3回戦でファビオ・フォニーニを破り、4回戦ではマートン・フチョビッチにフルセットで敗れた。1年遅れで開催された東京2020オリンピックではロシアオリンピック委員会として出場。シングルスは1回戦で錦織圭に敗れたが、アナスタシア・パブリュチェンコワとペアを組んだ混合ダブルスでは、決勝で同胞のアスラン・カラツェフ/エレーナ・ベスニナ組を破り、金メダル獲得[10]。この勝利について「国を代表して獲得した金メダルに勝るものはない」と振り返っている。 ナショナル・バンク・オープンは2回戦でジョン・イズナーに敗れたが、その後のウエスタン・アンド・サザン・オープンではマリン・チリッチ、ガエル・モンフィス、ブノワ・ペール、ダニール・メドベージェフを破り、今季2度のマスターズ1000決勝進出。決勝ではアレクサンダー・ズベレフに敗れて準優勝。全米オープンでは第5シードとして出場。3回戦でフランシス・ティアフォにフルセットで敗退。2年ぶりに開催されたレーバーカップでは欧州選抜として出場。出場したシングルス1試合とダブルス2試合すべてに勝ち、欧州代表の勝利に貢献した。BNPパリバ・オープンはダブルスで準優勝。その後は勢いが落ち、ATPファイナルズも1勝2敗でRR敗退に終わった。それでも年末のデビスカップでは、単複で計7戦6勝の活躍でロシアの優勝に貢献[10]。年間最終ランキングは5位。 2022年 ツアー12勝目 ATPファイナルズベスト4全豪オープンでは3回戦でマリン・チリッチに敗退。オープン13の決勝でフェリックス・オジェ=アリアシムを破り、今季初優勝及びツアー8勝目を挙げた。また、ダブルスでもウクライナのデニス・モルチャノフと出場して優勝し、単複2冠を達成した[11]。さらに、続くドバイ・テニス選手権でも決勝でイジー・ベセリーに勝利し、2週連続優勝を果たし、ツアー9勝目を挙げた。BNPパリバ・オープンはベスト4入り。準決勝でテイラー・フリッツに敗れた。 ![]() クレーシーズンに入り、セルビア・オープンでは決勝でノバク・ジョコビッチから初白星を挙げ、今季3勝目、通算ツアー11勝目を挙げた。全仏オープンでは準4回戦でヤニック・シナーを下して、準々決勝でマリン・チリッチにフルセットの末敗れた。 ウィンブルドン選手権は、主催者がウクライナ侵攻を受けてロシア人・ベラルーシ人選手を排除したことで参加できず。これに対し、「完全な差別」と糾弾した[12]。ルブレフ自身は、侵攻直後のドバイ・テニス選手権準決勝の試合後に、「NO War Please(戦争やめて お願いだから)」とテレビカメラへのメッセージに書き込んでいた[13][14]。また、記者会見で平和重視を言葉でも訴えている[15]。年間最終ランキングは8位。 2023年 マスターズ初優勝 全豪ベスト8 ツアー通算250勝全豪オープンでは第5シードとして出場し、1回戦でドミニク・ティームを6-3, 6-4, 6-2、2回戦でエーミル・ルースヴオリを6-2, 6-4, 6-7(2), 6-3、3回戦で第25シードのダニエル・エバンスを6-4, 6-2, 6-3、4回戦では第9シードのホルガ・ルーネを6-3, 3-6, 6-3, 4-6, 7-6(9)のフルセットで下して、順当にベスト8進出を果たす。準々決勝では第4シードのノバク・ジョコビッチに1-6, 2-6, 4-6のストレートで敗れた。 3月のドバイ・テニス選手権では準決勝でアレクサンダー・ズベレフに6-3, 7-6(9)で下すも、決勝で同胞のダニール・メドベージェフに2-6, 2-6のストレートで敗れ、準優勝。BNPパリバ・オープンでは4回戦でキャメロン・ノリーに2-6, 4-6のストレートで敗れた。マイアミ・オープンでは3回戦でヤニック・シナーに2-6, 4-6のストレートで敗退した。 ![]() 4月、クレーシーズンに突入し、モンテカルロ・マスターズでは第5シードとして出場。1回戦でハウメ・ムナルを4-6, 6-2, 6-2で下してツアー通算250勝目を達成。準決勝で第8シードのテイラー・フリッツを5-7, 6-1, 6-3で下し、ATPマスターズ1000で3度目の決勝進出。決勝では第6シードのホルガ・ルーネを5-7, 6-2, 7-5で下してATPマスターズ1000初優勝を果たした[16]。 プレースタイル爆発的なフォアハンドストロークの強打を武器にする攻撃型ベースライナー。股関節が柔らかく、大きなスタンスでフォアを叩く[17]。ロジャー・フェデラー同様に頭の上下動が少なく、より良いポジションに動いて、しっかりインパクトし、正しいコースへ打つことで相手の逆を突くショットが多い[18]。攻撃的な故、不調時にはアンフォーストエラーが多くなることが改善点である[1]。 人物ATPの企画でファンからの質問に答えた。それによると、ラケット重量は340g、グリップサイズは4。襟付きのシャツは嫌いなので着ない。ギターを弾くなど音楽好きで、好きなバンドはメタリカ、ワン・ダイレクション、AC/DCなど。バンド活動をしたこともある。猫好き。[19][20] ニックネームは「ルーブル」。幼少期のアイドルはマラト・サフィン。ロシア語のほか、英語とスペイン語も話せる。 主要大会決勝ATPマスターズ1000シングルス: 6回 (優勝2回, 準優勝4回)
ATPツアー決勝進出結果シングルス: 28回 (17勝11敗)
ダブルス: 8回 (4勝4敗)
成績
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会最高成績
脚注
外部リンク
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