アンドリュー・ロマイン
アンドリュー・ジェームズ・ロマイン(Andrew James Romine, 1985年12月24日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州ポーク郡ウィンターヘイブン出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投両打。愛称はロボム(Robomb)[1]。 経歴プロ入り前2004年のMLBドラフト36巡目(全体1082位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名されるが、契約せずにアリゾナ州立大学へ進学した。 プロ入りとエンゼルス時代2007年のMLBドラフト5巡目(全体178位)でロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムから指名され、6月25日に契約。 2010年2月3日にスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[2]。4月6日に傘下AA級アーカンソー・トラベラーズへ配属された[2]。6月28日に右肩のインピンジメントで7日間の故障者リスト入りとなった[2]。7月23日に復帰した[2]。8月31日にアリゾナ・フォールリーグのメサ・ソーラーソックスへ派遣された[2]。9月24日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りして[2]、メジャー初昇格を果たし、同日のシカゴ・ホワイトソックス戦でメジャーデビュー[2]。9月26日には、MLB初安打を放った。 2011年3月29日に傘下のAAA級ソルトレイク・ビーズへ配属された[2]。6月12日にアルベルト・カヤスポが故障者リスト入りしたことに伴ってメジャーに昇格した[2]。6月20日にオプションで傘下のAAA級ソルトレイクへ降格した[2]。8月2日にメジャーに昇格した[2]。8月16日にオプションで傘下のAAA級ソルトレイクへ降格した[2]。9月1日にメジャーに昇格した[2]。オフにはメキシコのウィンターリーグであるリーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコに参加し、ベナドス・デ・マサトランでプレーした[2]。 2012年3月26日に傘下のAAA級ソルトレイクへ配属された[2]。5月24日にメジャーに昇格した[2]。5月29日にオプションで傘下のAAA級ソルトレイクへ降格した[2]。6月18日にメジャーに昇格した[2]。7月17日にオプションで傘下のAAA級ソルトレイクへ降格した[2]。7月27日にメジャーに昇格した[2]。8月6日にオプションで傘下のAAA級ソルトレイクへ降格した[2]。9月1日にメジャーに昇格した[2]。 2013年3月2日にエンゼルスと1年契約に合意。5月3日にAAA級ソルトレイクへ降格[2]。8月14日にメジャーに再昇格した[2]。 タイガース時代2014年3月21日にホセ・アルバレスとのトレードで、デトロイト・タイガースへ移籍した[3]。タイガースでは、前年からの倍増となる94試合に出場。打率こそ大きく落とし.227に終わったものの、メジャー初本塁打を記録したほか、250打数・二桁得点・50安打・5二塁打・二桁盗塁・二桁四球等のラインを初めてクリア。飛躍のシーズンとなった。 2015年からは内野・外野を守るユーティリティとしてプレーし[4]、前年の自己記録を更新する109試合に出場した。打撃面では打率.255・2本塁打・15打点という成績を残したほか、2シーズン連続で二桁盗塁を決めた。守備では内野の全ポジションと左翼手を守り、一塁手以外の内野の各ポジションでは、いずれもプラスのDRSをマークした。 2016年も引き続きユーティリティとして起用され、2シーズン連続で109試合に出場。打撃面では打率.236、2本塁打、16打点、8盗塁(盗塁死0)という成績を残したほか、キャリア初の三塁打(2三塁打)も放ち、スピード面で実力を発揮した。守備面では前年にも増して多才ぶりを見せ、捕手以外の全ポジションで試合に出場。最も多かったのは三塁手の44試合で、1失策、守備率.977、DRS +1というまずまずの内容だった。次いで22試合で中堅手を守り、無失策・DRS0とこちらも無難な守備を見せた。20試合で守った一塁は無失策ながらDRS - 1と、平均をぎりぎり下回った。更に遊撃手は14試合で守備に就き、1失策・守備率.978・DRS - 2と10試合以上で守ったポジションではワーストクラスの内容だった。そして、二塁手では12試合で無失策・DRS0という、内外野の違いがあるとは言え、中堅と同質の守備成績を記録。右翼手は2試合で守っただけながら、無失策かつDRS +1と平均以上の内容。左翼手は1試合だけだった。最後に投手としては、0.2イニングで2四球を与えたが、無安打無失点で切り抜けた。 2017年もユーティリティとして重宝され、9月30日のミネソタ・ツインズ戦ではMLB史上5人目の1試合全ポジション守備を記録した[4]。この試合は「8番・左翼手」で先発出場し、イニングごとにポジションを変え、8回裏には投手としてマウンドに上がって打者一人(ミゲル・サノ)を三塁ゴロに抑えてホールドを記録した[5][6]。 マリナーズ時代2017年11月2日にウェイバー公示を経てシアトル・マリナーズへ移籍した[7]。 フィリーズ傘下時代2019年1月11日にフィリーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[2]。3月22日に契約を解除されたが[8]、25日に再びマイナー契約を結び、傘下のAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスへ配属された[2]。この年は傘下のAAA級リーハイバレーでプレーし、106試合に出場して打率.289、8本塁打、53打点、21盗塁を記録した。オフの11月4日にFAとなった[2]。 レンジャーズ時代2020年1月にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約(昇格なら年俸90万ドル)を結んだ[9]。7月23日にFAとなった[10]。9月15日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ[11]。24日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[12]。オフの10月28日にFAとなった[13]。 カブス時代2021年2月22日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[2]。2月23日に傘下AAA級セントポール・セインツへ配属された[2]。3月25日にFAとなった[2]。3月29日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結び[2]、同日にAAA級アイオワ・カブスへ配属された[2]。6月21日に7日間の故障者リストに登録された[2]。7月8日に故障者リストから復帰した[2]。7月30日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[2]。8月6日の本拠地で開催されて試合で同点本塁打を記録したが、これがキャリア最後の本塁打となった[4]。8月12日のブルワーズ戦では9回にマウンドに登り、この時の捕手は弟のオースティンだったため、1962年6月28日のラリーとノームのシェリー兄弟以来となる兄弟バッテリーを記録した[14]。9月6日にDFAとなった[2]。9月8日にAAA級アイオワへ配属された[2]。12月11日に自身のインスタグラムで現役引退を表明した[4]。 家族父のケビン・ロマインは1985年から1991年までボストン・レッドソックスでプレーしていた外野手だった。弟は捕手のオースティン・ロマイン。 詳細情報年度別打撃成績
年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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