アンドリュー・ゴールド
アンドリュー・ゴールド(出生名:Andrew Maurice Gold、1951年8月2日 - 2011年6月3日)は、1970年代のロサンゼルス地域のポップ・ロックのサウンドに影響を与えたアメリカのマルチプレイヤー、歌手、ソングライター、レコード・プロデューサー[1]。ゴールドはリンダ・ロンシュタットを筆頭とした他のアーティストの数多くのレコードで演奏し、自身も全米トップ40ヒットとなった "Lonely Boy"(1977年)と "Thank You for Being a Friend"(1978年)や、全英トップ5ヒットの "Never Let Her Slip Away"(1978年)で成功を収めた。1980年、同じくユダヤ系である10ccのグレアム・グールドマンとのコラボレーションWAXで、さらなる国際的な成功を収めた。 1990年代は、映画、コマーシャル、テレビのサウンドトラックなどでプロデュース、作曲、演奏などを手掛け、その中には『あなたにムチュー』のテーマ曲 "Final Frontier" などがある。ゴールドの以前の作品のいくつかは後に新たな人気を得ることになった: "Thank You for Being a Friend" はコメディドラマ『ゴールデン・ガールズ』のオープニングで使用され、1996年の子供向けのコミックソング "Spooky Scary Skeletons" は2010年代にインターネット・ミームとなった。1997年、ゴールドは1960年代のサイケデリック・ミュージックへのトリビュートである Greetings from Planet Love を "the Fraternal Order of the All"(すべての兄弟の秩序)という名義でリリースした。2011年6月3日、腎臓がんとの闘病の末に59歳で他界した[2][3]。 生い立ちカリフォルニア州バーバンクで生まれ[4]、両親の後を追ってショービジネスの世界に足を踏み入れた。母親は『ウエスト・サイド物語』のナタリー・ウッド、『王様と私』のデボラ・カー、『マイ・フェア・レディ』のオードリー・ヘプバーンの吹き替えをつとめた歌手のマーニ・ニクソンであり、父親はオーストリア出身で1960年の映画『栄光への脱出』の映画音楽でアカデミー賞を受賞した作曲家のアーネスト・ゴールドである[5]。また、2歳下の妹がいた。 ゴールドは13歳で曲作りを始めた。16歳でイギリスに渡ったゴールドは、ポリドールのロンドン事務所に送ったデモから、最初のレコーディング契約を獲得した。この契約の結果、友人で共演者のチャーリー・ヴィリエとともに録音した "Of All the Little Girls" をヴィリエ・アンド・ゴールド名義で1967年にリリースした[6]。 キャリア1970年 – 1979年1970年代初頭、ゴールドはフルタイムのミュージシャン、ソングライター、レコード・プロデューサーとして働いていた。彼はケニー・エドワーズ、ウェンディ・ウォルドマン、カーラ・ボノフとともにロサンゼルスのバンド、ブリンドルのメンバーであり、1970年にシングル "Woke Up This Morning" をリリースした。リンダ・ロンシュタットの1974年の出世作『悪いあなた』と、その後の2枚のアルバムではマルチプレイヤーでありかつアレンジャーとして主要な役割を担った。ロンシュタットの『風にさらわれた恋』の後で、ソロ・アーティストとしてのキャリアを開始した。その他の業績の中でも、ゴールドはロンシュタットの唯一のBillboard Hot 100でのNo.1シングル「悪いあなた」や「いつになった愛されるのかしら」、「ヒート・ウェイヴ」などのロンシュタットのヒット曲で多くの楽器を演奏した。ゴールドは1973年から1977年までロンシュタットのバンドに在籍し、その後も1980年代から1990年代にかけてのロンシュタットのコンサートでもとびとびにだが演奏した。 1975年、ゴールドはアルバム Andrew Gold でソロ・アーティストとしてデビューし、アート・ガーファンクルのソロでのヒット曲「君は瞳ゆえに」(この曲はガーファンクルのアルバム、『愛への旅立ち』からの何曲かのほかのシングルカットと同様にヒットし、全英チャートで1位を獲得した)で多くの楽器を演奏した。 1977年6月にBillboard Hot 100で7位に到達したヒットシングル "Lonely Boy" が収録されたゴールドのセカンドアルバム What's Wrong With This Picture? は1976年にリリースされた[7]。 1977年にはゴールドはエリック・カルメンのアルバム『雄々しき翼』でその年の23位ヒットとなった「愛をくれたあの娘」を含む2曲でギターを演奏した[8]。 "Lonely Boy" がアメリカのラジオ局でヒットしたにもかかわらず、ゴールドのサードアルバム All This and Heaven Too からのシングル "Thank You for Being a Friend" は1978年に最高25位を獲得するにとどまったが[9]、後にシンディ・フィーの演奏で『ゴールデン・ガールズ』のテーマ曲として人気を博した。 ゴールドのイギリスでの最大のヒットは、1度目はゴールド自身で、2度目は14年後にダンス=ポップ・グループUndercoverによって全英シングルチャートで2度にわたり5位を獲得した "Never Let Her Slip Away" である。ゴールドの友人のフレディ・マーキュリーがクレジットされていないバックグラウンド・シンガーとして参加していた[10]。 ゴールドはイーグルスともツアーを行い、ロンシュタットやジャクソン・ブラウンとスタジオやツアーで共に働き、ジェームス・テイラーとレコーディングやツアーを共にし、ジョニ・ミッチェルのアルバム『ブルー』のセカンド・エンジニアをつとめた。 1980年 – 2011年1981年、ゴールドはヒットメーカーのポップ・ロック・バンド、10ccの1981年のアルバム『ミステリー・ホテル』の3曲で共作し、歌い、演奏した。その後、10㏄のエリック・スチュワートとグレアム・グールドマンに10㏄のメンバーにと誘われた。すでにスタジオで共に作業をしていたにもかかわらず、契約上の問題からグループに参加することはなかった。1983年末に10㏄が解散した後で、ゴールドとグールドマンはWAXを結成した。WAXは5年間に渡ってレコーディングとツアーを行った。彼らは国際的な成功を収め、特にイギリスでは "Right Between the Eyes" や、彼らの最大のヒット作 "Bridge to Your Heart" を含む数曲がヒットした。レコーディングとツアーのコンビとしてはWAXは1989年に解散したが、ゴールドとグールドマンは可能な時には一緒に曲を作り、録音していた。 ゴールドはシェールの1989年のヒットアルバム Heart of Stone に参加し、90年代の初めにはトリーシャ・イヤーウッドやゴールドとリサ・アンジェルのNo.1シングルを共作したワイノナ・ジャッドのヒット曲を作曲した(後にゴールドはリサ・アンジェルのアルバムをプロデュースし、このアルバムにはゴールドとアンジェルが共同で作った曲が数多く収録されていた)。ゴールドはヴィンス・ギルのシングルもプロデュースし、セリーヌ・ディオンのために曲作りとプロデュースを行い、1984年のSF映画『スターマン/愛・宇宙はるかに』で主役のジェフ・ブリッジスとカレン・アレンが歌ったエヴァリー・ブラザーズの「夢を見るだけ」("All I Have to Do is Dream")のカバーをアレンジした。 1990年代、ゴールドはかつてのバンド仲間のカーラ・ボノフ、ウェンディ・ウォルドマン、ケニー・エドワーズととともにブリンドルを再結成し、グループにとって初のフルレングスのアルバム『ブリンドル』(Bryndle)をリリースした。1969年、ゴールドはブリンドルを去り、ジョン・ウェイトと共に子供のハロウィン向けのコミックソングのアルバムで、"Spooky Scary Skelton" が収録された Halloween Howls をリリースした。同年、ソロアルバム ....Since 1951 をリリースし、スティーヴン・ビショップのアルバム Blue Guitar をプロデュースした。その後、 "The Fraternal Order of the All" 名義で60年代のサイケ・トリビュートのアルバム Greetings from Planet Love を録音し、自身のレコードレーベル "QBrain Records" から発売した。このアルバムはゴールドが好きなビートルズ、ザ・バーズ、ザ・ビーチ・ボーイズと言った60年代のバンドのスタイルで、ゴールドが実質的に一人で全ての楽器を演奏し、すべてのボーカルパートを多重録音している。ゴールドはマーク・ピロ監督のコメディ映画 Rectuma などの数多くの映画用の曲をプロデュースし、作曲し、作詞し、多くのテレビ番組やコマーシャルに曲を提供した。ゴールドは注目を集めるギグの中で、コメディ番組『あなたにムチュー』のテーマ曲 "Final Frontier" を歌った。驚くことに、この歌のゴールドによるバージョンが、1996年に火星探査機マーズ・パスファインダーのウェイクアップ・コールとして使用された[11]。また、矢沢永吉のアルバムを7枚プロデュースした(後述)。 2000年、WAXのアルバム Bikini を編集するとともに、新しいソロアルバム The Spence Manor Suite をレコーディングし、リリースした。その後2002年には別のソロアルバム Intermission を発表。2000年代前半、ゴールドはロサンゼルス地域で演奏したバーズのトリビュート・バンド、Byrds of Feather を結成した。2006年のコンサートではクラシック・ロック・グループ、アメリカおよびシンガー=ソングライターのスティーヴン・ビショップとともに出演し、この時の演奏のDVDは後に America And Friends – Live at the Ventura Theater として発売された[12]。このコンサートではゴールドはアメリカおよびビショップのギター演奏とボーカルとともに "Thank You for Being a Friend"、"Final Frontier"、"Bridge to Your Heart"、"Lonely Boy" を演奏した。これ以前にゴールドはアメリカのクリスマス・アルバム Holiday Harmony を2000年にプロデュースしており[13]、数多くの楽器を演奏し、収録曲の "Christmas in California" を共同で制作した。 2010年代初頭、ゴールドの曲 "Spooky Scary Skeletons" は4chanのビデオ・ゲーム板で人気となり、ハロウィン関連のインターネットミームとして話題になっていた[14]。数年のうちにこの曲は、本格的なバイラル現象となり、複数のエレクトロニック・ダンス・リミックスやカバー・バージョンがYouTubeにアップされ、再生回数は3億5000万回を超え、ソーシャル・メディア・ネットワーク TikTokのダンスチャレンジでは250万本を超える動画と、2億4300万回以上の再生回数を記録した[15][16]。2019年、"Spooky Scary Skeletons" の人気に触発されて、 Halloween Howls のディジタル・デラックス版がリリースされた。アルバムのこのバージョンには "Spooky Scary Skeletons" のエレクトロニック・ダンス・リミックスが2バージョン収められている。 2020年、ゴールドの曲 "Savannah" の初期のバージョンがディジタル・シングルとして発売された。その後、一部のデモを含む未発表曲を集めた死後のコンピレーション・アルバム Something New: Unreleased Gold がレコード盤、CD、ディジタルでリリースされ、アルバムからは表題作と "Come Down to Me" の2曲がディジタル・シングルとしてリリースされた[17]。 その他日本では矢沢永吉が1984年に発表したアルバム『E'』のプロデュースを担当したことで知られている。同作に収録されている"棕櫚の影に"は、デモテイク自体は出来上がっていたものの、この曲にアンドリュー本人のアイデアを用いたアレンジにより、素晴らしいモノになった、と矢沢は語っている[18]。 私生活と死ゴールドの最初の結婚相手はヴァネッサ・ゴールドであり、二人の間にはエミリー、ヴィクトリア、オリヴィアの三人の娘が生まれた[1]。 1980年代初頭、ゴールドは歌手のニコレット・ラーソンと婚約していたが、二人の関係はゴールドがプロデュースした1982年のラーソンのアルバム『天使のように』(All Dressed Up & No Place to Go)の完成後まもなく破綻した。 その後、ゴールドはレスリー・コーガンと結婚した。 ゴールドが "Lonely Boy" の歌詞に生年などの個人的な事項を反映させたにもかかわらず、インタビューでこの歌詞が自伝的なものではなかったことを認めている:「多分こうしたことは間違いだったけど、こういうディティールを盛り込むのが便利だったので単にそうした。私は孤独な少年ではなかった。幸せな子供時代だった。」[2] 1990年、ゴールドと彼の4人の家族はクイズ番組『ファミリー・フュード』に出演した[19]。 ゴールドは腎臓がんと診断されたものの、治療の効果は上がっていたが、ロサンゼルスで2011年6月3日に59歳で死去した[1]。 ディスコグラフィーアルバムスタジオ・アルバム
コンピレーション
ライブ・アルバムとEP
ボックスセット
シングルとEP
WAX
ブリンドル
アメリカおよびスティーヴン・ビショップとの共演
脚注
外部リンク |