アンタッチャブル (プロレス)UNTOUCHABLE(アンタッチャブル)は、全日本プロレスにて活動した、三沢光晴をリーダーとするプロレスのユニット。 その後、プロレスリング・ノアにおいてアンタッチャブルの後継ユニットとなるWAVE(ウェイブ)が結成されている。 WAVE解散後も、三沢と小川良成とのタッグチームは継続して活動した。 来歴
メンバー正規メンバー
準メンバー
タイトル歴
WAVEWAVE(ウェイブ)は、2000年10月11日、プロレスリング・ノア初のシリーズ「NAVIGATION」で、全日本プロレス時代のアンタッチャブルの流れを引き継ぐ新チーム「WAVE」の結成を発表。メンバーは、旗揚げ戦への出場のみでノアを退団した垣原が抜けただけで、三沢、小川、池田、丸藤という以前と変わらぬ4人。ただし丸藤とバトラーツを退団しノアに入団した池田は、これをもって正式加入となった。 2001年に小橋建太の欠場によって活動休止となったバーニングから力皇猛、小林健太(KENTA)をWAVE預かりとする。力皇はプロレスリングZERO-ONEの日本武道館大会で三沢のパートナーとして小川直也&村上和成組と対戦するなど急成長を遂げるが、森嶋猛とタッグチーム「WILD II」を結成し脱退。池田も同年6月の大森隆男とのシングルマッチ後に脱退する。フリー参戦から正式にノアに入団した佐野巧真、同年12月デビューで三沢の付き人を務めていた鈴木鼓太郎が加入。 2002年に三沢と小川が突如仲間割れを起こし、WAVE解散の危機となった。しかし、これは当時のGHCヘビー級王者・秋山準を陥れるための小川による偽装工作で最終的に元の鞘に収まった。その後、小川はGHCヘビー級王座を秋山から奪取している。 2003年に丸藤が新世代による下克上を掲げて脱退しユニットとしての機能が形骸化したWAVEは解散。しかし三沢と小川のタッグは三沢の死去する2009年まで継続した。 メンバー
タイトル歴
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