佐野巧真
佐野 巧真(さの たくま、1965年2月2日 - )は、日本の元男性プロレスラー。北海道苫小牧市出身、神奈川県川崎市在住。血液型A型。プロレスラーとしてのキャリアにおいて、様々なリングネームを名乗っている。本名および旧、最終リングネームは佐野 直喜(さの なおき)。最終所属フリー。 来歴苫小牧西高校卒業と同時に新日本プロレスに入門。1984年3月3日、後楽園ホールで佐野 直喜(さの なおき)として仲野信市戦でデビュー。下記の獣神サンダー・ライガーの中身である山田恵一とは同学年で同期で、同じ日にデビューした。この際、アントニオ猪木から、佐野と山田がデビューしたい会場を選ぶ事を許され、共に後楽園ホールを選んだ。 1984年4月、メキシコ遠征を経験。帰国後の1989年8月10日に両国国技館で獣神サンダー・ライガーを破ってIWGPジュニアヘビー級王座を獲得。ライガーの好敵手としてジュニア戦線の中心レスラーとなる。 1990年、SWSに移籍。1991年12月にリック・マーテルとの初代王座決定戦でSWSジュニア王座を獲得。1992年12月20日にUWFインターナショナルに初参戦し、高田延彦と対戦した。 1993年7月、UWFインターに移籍。1996年3月1日に佐野 友飛(さの ゆうひ)に改名した。1997年5月、キングダム旗揚げに参加。1998年3月に髙田道場に入団。PRIDEにも出場した。 1999年5月14日、佐野 なおきに改名し、格闘探偵団バトラーツに参戦。FMWジュニアヘビー級王座を獲得。2000年4月に第3回スーパーJカップに出場し準決勝まで勝ち進んだがCIMAに敗れた。 2001年1月31日に「もっとプロレスを学びたい」と高田道場を退団し、2月11日に佐野 巧真に改名してプロレスリング・ノアに初参戦。その後、ノアに入団し、WAVEで三沢光晴、小川良成らと共闘。WAVE解散後は主に田上明、高山善廣、杉浦貴らとタッグを組むことが多い。 獣神サンダー・ライガーが手の合う相手として佐野を激賞しており、UWFインターと新日本の対抗戦でもライガーは「佐野さんしか興味はない」とラブコールを送った。実際に両者は対抗戦の四回戦でぶつかり、佐野が通常のプロレスに付き合って(場外へのダイブなどUWFではありえない技も繰り出し)勝利を収めた。試合後、ライガーは「もっと視野を広げて世界の佐野になってほしい」「UWFでのプロレス人生は偽りだと思う。試合には負けたが、あの人のプロレス人生には勝てたんじゃないか」と語った。佐野がノア入団後はヘビー級に移り、長らく接点はなかったが2009年1月の新日本・東京ドーム大会でタッグを組み、金本浩二、井上亘組に勝利した。 GHCタッグ王座決定トーナメントでは、UWF時代の後輩・高山とのタッグで参戦。決勝まで進んだが森嶋猛&モハメド・ヨネ組に敗れるもこのトーナメントで評価を上げた。高山は決勝の試合前インタビューで「佐野さんを本気にさせたら殺されるからね」と語っていた。 2012年1月、契約更改によりフリーとなる。 2014年3月、ノア有明コロシアム大会で佐野巧真デビュー30周年記念試合として獣神サンダー・ライガーと組み、高山善廣、平柳玄藩組と対戦した。 2017年、青柳政司率いる魔世軍に入り、「魔世軍8号佐野巧真」のリングネームを名乗る[1]。 2018年12月、京都府京都市西京区に焼肉店「焼肉巧真」をオープン[2]。 2020年1月4日・5日の新日本プロレスの東京ドーム大会で新日本同期のライバル、ライガーの引退試合に佐野直喜として両日ともに参戦。4日は8人タッグ戦での対戦相手[3]、5日のライガー引退試合Ⅱ(対戦相手:リュウ・リー&高橋ヒロム組)ではタッグを組みセコンドの藤原喜明と共にライガーを見送った[1]。 東京ドーム大会から2日後の1月7日、自身のフェイスブック上で現役引退を発表[4]、引退後は自身が経営する焼肉店「焼肉巧真」(京都府京都市西京区)[5]の経営者となった[6]。 リングネーム佐野が用いたことがあるリングネーム
戦績
タイトル歴
得意技蹴り技、飛び技と言った技を自由自在に繰り出す、従来には無い珍しい技巧派タイプのレスラーでもあった。
入場テーマ曲
脚注
外部リンク
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