アレクサンダル・カタイ
アレクサンダル・カタイ(セルビア語: Александар Катаи、セルビア・クロアチア語: Aleksandar Katai、1991年2月6日 - )は、セルビアのサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。 クラブ経歴ヴォイヴォディナカタイはFKヴォイヴォディナ・ノヴィ・サドの下部組織でサッカーを始めた。2009年初めにセカンドチームに昇格したのと同時にFKパリッチに6ヶ月レンタル移籍[1]。レンタル移籍復帰後トップチームに昇格、2010年3月14日のFKチュカリチュキ戦でドゥシャン・タディッチと交代して出場しセルビア・スーペルリーガ初出場[2]。7日後に行われたFKムラディ・ラドニク戦で初得点。2011年6月28日にギリシャ・スーパーリーグのオリンピアコスFCへ旅立った[3]。 オリンピアコス2011年6月24日、4年契約でオリンピアコスと契約[4]。しかし、クラブでの初めてのトレーニングで監督のエルネスト・バルベルデから、守備に難があり選手として改善する必要があると言われた[5]。結局オリンピアコスでは1試合も出る事なく退団となったが、その代わりに4回のレンタル移籍を経験した。1回目はOFIクレタで2011年11月5日のパニオニオスFC戦で初出場[6]。しかしここでも上手く行かず、次は古巣のヴォイヴォディナにレンタルされる事となった。2012年に行われたFKスパルタク・スボティツァ戦の後に体調を崩し病院に行った所、血小板減少症と診断された[5]。このため、血を一部抜き取るために2週間の入院を余儀なくされた[5]。リハビリ中に10kg近く太ったために結局年末までサッカーに復帰する事は出来なかった[5]。ヴォイヴォディナの会長であったラトコ・ブトロヴィッチが2013年6月8日に死去するまで彼はレンタル加入選手として在籍したが、ブトロヴィッチ死後の混乱の中で彼は退団する事となった[7]。その後FCプラタニアスにレンタル移籍で出され、8ゴール6アシストの成績を残し[5]、2014年夏まで在籍した。 レッドスター・ベオグラードカタイの問題はモチベーションではなく、彼の頭の中にあるのだ。多分彼はセルビアに帰りたいと思っていなかった。(オリンピアコスで)1ヶ月半、深夜まで練習していたけれども、十分なトレーニングを積んだとは認められなかった。トレーニング場に立つ事だけは許されていたから彼も訴えはしなかった。ただ今の彼は不満そうだ。
2014年8月31日、夏の移籍市場が閉まる寸前にレッドスター・ベオグラードへの1年のレンタル移籍が決まった[9]。加入直後の秋には不調も伝えられ、監督のネナド・ララトヴィッチも「彼の頭の中に問題がある」と述べた[8]。 2015年6月18日、カタイはオリンピアコスとの契約を抹消、レンタル移籍時のレッドスター・ベオグラードの30万ユーロの彼への未払いは免除され、レッドスター・ベオグラードと2年契約を締結[10]。2015-16シーズンにはミオドラグ・ボージョヴィッチが新監督に就任、UEFAヨーロッパリーグ 2015-16 予選のFCカイラト戦で活躍したが、チームは予選で敗退した。10月末までに15試合で10得点6アシストの活躍をし、ヨーロッパでも指折りのミッドフィールダーと見做された[11]。その後も好調は続き、最終節のFKラドニチュキ・ニシュ戦で21得点目をあげ得点王に輝き、またクラブを27回目の優勝へと導いた。 2016-17シーズンの初陣となったUEFAチャンピオンズリーグ 2016-17 予選のバレッタFC戦でシーズン初得点[12]。予選第3ラウンドのPFCルドゴレツ・ラズグラド戦で3人抜きからの得点を決めて2-2の引分に持ち込んだが、もう一戦で敗北しここで敗退となった[13]。 デポルティーボ・アラベス2016年8月31日に3年契約でリーガ・エスパニョーラのデポルティーボ・アラベスに移籍、移籍金は明らかになっていない[14]。 シカゴ・ファイアー2018年2月6日、MLSのシカゴ・ファイアーにレンタル移籍した[15]。 2018年7月11日、シカゴ・ファイアーに完全移籍したことが発表された[16]。契約期間は2019年12月まで。 ロサンゼルス・ギャラクシー2019年12月31日、TAM(分配金制度)を用いてロサンゼルス・ギャラクシーに移籍した[17]。 代表歴セルビアU-21代表として2試合に出場した。 2015年10月5日にA代表初招集、同年11月13日のチェコ代表との親善試合で初出場[18]。 個人成績クラブ
試合数
国際Aマッチ 9試合 0得点(2015年-)
個人祖父はウクライナ系で祖母はハンガリー系である。彼の名字は祖母の名字から取られているのでハンガリー風の名字となっている[20]。 タイトルクラブ
個人
参考文献
外部リンク
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