ビブラス・ナトホ
ビブラス・ナトホ(アディゲ語: Бибэрс Натхъо, ヘブライ語: ביברס נאתכו, ラテン文字転写: Bibras Natkho, セルビア語: Бибрас Натхо, 1988年2月18日 - )は、イスラエル・クファル・カマ出身のサッカー選手。パルチザン・ベオグラード所属。イスラエル代表。ポジションはミッドフィールダー。 経歴クラブハポエル・テルアビブナトホは、ベン・サハルと共にハポエル・テルアビブFCの下部組織に入団し、様々な世代別を経て2006-07シーズンに昇格を果たした。2006年11月18日のマッカビ・ネタニヤFC戦に途中出場でリーグ初出場を飾り、同シーズンにステートカップを獲得した。 NKシロキ・ブリイェグとのUEFAカップ 2007-08予選2回戦第2戦(ホーム3-0)でプロ初得点を記録。2007-08シーズン中にエリ・グットマン監督就任以降は主力の1人となり、2008年2月9日のマッカビ・ペタク・チクヴァFC戦でリーグ初得点を記録した。 UEFAヨーロッパリーグ 2009-10のグループリーグで活躍を見せ首位突破に貢献したが、ロシア・プレミアリーグの強豪FCルビン・カザンとの決勝トーナメント・ラウンド32第1戦(アウェイ0-3敗北)に破れ第2戦(ホーム0-0)で追いつくことが出来ず、欧州カップ戦を敗退した。 ルビン・カザン2010年3月8日、UEFAヨーロッパリーグ敗退してから程なくして、直接敗退の原因となった相手クラブのルビン・カザンと4年契約を締結[1]。移籍金は65万ユーロ[2]。2012-13シーズンの活躍からロシア・プレミアリーグのトップ選手の1人として見られている[3][4]。 PAOKテッサロニキ2014年1月29日、自由契約でギリシャ・スーパーリーグのPAOKテッサロニキに加入した[5]。 代表ナトホは、ベラム・カヤルと共に様々な世代別代表でプレー[6]し、U-19では主将を務めた。 2009年8月12日に北アイルランドとの親善試合で同僚のアヴィハイ・ヤディン(en)と共にA代表に初招集を受ける[7]も、出番は訪れなかった。2010年3月3日にルーマニアとの親善試合で元同僚のギル・ヴェルムート(en)に代わり初出場を飾った。2012年9月7日のアゼルバイジャン戦で初得点を記録した[8]。 人物チェルケス人である。 私生活従姉に著名で有望なバスケットボール選手のニーリ・ナトホがいるが、2004年に交通事故で亡くなっている[9]。また、元サッカー選手でサッカー指導者にしてサッカークラブ経営者のアダム・ナトホを叔父に持ち[10]、アダムの息子アミールもサッカー選手[11]。 タイトルクラブ
脚注
外部リンク
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