アレキシ・"ワイルドチャイルド"・ライホ (Alexi "Wildchild" Laiho 、本名:マルック・ウーラ・アレクシ・ライホ (Markku Uula Aleksi Laiho )、 1979年 4月8日 - 2020年 12月29日 [ 1] )は、フィンランド のヘヴィメタル ミュージシャン (ギタリスト 、ボーカリスト )である。チルドレン・オブ・ボドム のフロントマンで、ほぼ全ての楽曲の作詞 ・作曲 も担当していた。同バンド解散後は、ボドム・アフター・ミッドナイト をメインに活動していた。
2004年 にギターワールド誌の『GUITAR WORLD's 100 Greatest Heavy Metal Guitarists Of All Time』では、96位に選出された[ 2] 。
プロフィール
ヘルシンキ 郊外のエスポー 出身。父がビートルズ の曲を演奏していたことがきっかけで、ギター に興味を持つようになった[ 3] 。その後、7歳の頃からヴァイオリン を始める。この時期は、クラシック音楽 の演奏が中心であった。しかし、姉 の影響もあってロック への興味も強まっていた[ 3] 。11歳の時、スティーヴ・ヴァイ のアルバム、『PASSION AND WARFARE』に収録された『For The Love of God』のプロモーションビデオ を見たのをきっかけに、ギターを手にする。以降は、ギターに熱中するようになる。
ヴァッケン・オープン・エア 公演にて (2002年)
12歳か13歳の時に、ヤスカ・ラーチカイネン と出会う。ヤスカとはガンズ・アンド・ローゼズ などのコピーバンド を結成して活動していたが、結成から2年ほどたったころからオリジナル曲を書き始めている。1993年 にインアースド (Inearthed )をヤスカらと結成。インアースドは、後にチルドレン・オブ・ボドム (Children Of Bodom )へバンド名を改名し、デビューする。同バンドでは、ボーカリスト とリード ギタリスト を務めた。 チルドレン・オブ・ボドムでの活動は、同バンドの項を参照。同バンドが2019年 に活動を終了した後、2020年 3月にボドム・アフター・ミッドナイト (Bodom After Midnight )を結成した[ 4] 。同バンドでも、ボーカリスト とギタリスト を務める。
この他にいくつかのバンドにも参加していた。1997年 には、チルドレン・オブ・ボドムとスパインファーム・レコード との契約において知り合った、スパイクファーム・レコード(スパインファーム・レコード傘下)のサミ・テネッツ がメンバーのメロディックブラックメタル バンド、ザイ・サーペント (英語版 ) (Thy Serpent )に加入した。しかし、音源に参加することはなく、翌年には脱退している。また、1998年 には、インペイルド・ナザリーン (Impaled Nazarene )に加入し、2000年 まで在籍、1枚のアルバムに参加した。
また、当時はガールフレンドで、後に結婚 することになるキンバリー・ゴス (2004年に破局したが、法的には婚姻関係が続いていた[ 5] )と、ヘヴィメタル バンド・シナジー を1997年に結成し、ギタリスト として活動している。また、2004年 には、元シナジーのトミー・リルマン とパンク・ロック バンド・Klamydia のヴェサ・ヨキネン と共に、プロジェクトバンド・Kylähullut を結成し、活動している。しかし、双方とも現在は、目立った活動は行われていない。
2020年12月29日にヘルシンキ の自宅で死去[ 6] 。当初、死因は公表されておらず、長年健康問題を抱えていたことだけが明かされていたが[ 6] 、2021年3月にキンバリー・ゴスにより「アルコール性の肝臓と膵臓組織の障害」であったことが明かされた[ 7] 。ボドム・アフター・ミッドナイトで収録していた3曲の音源については、2021年4月にEP『Paint The Sky With Blood』としてリリースされることとなったが、ボドム・アフター・ミッドナイトはアレキシ抜きでの活動を断念し、活動を終えることになった[ 8] 。
プレイスタイル
ESP社製Alexiモデル (2013年)
ヴァイオリン を習っていたこともあり、クラシック の影響を受けている。モーツァルト を特に好んで聴き、チルドレン・オブ・ボドムの楽曲には交響曲第25番 のフレーズ を導入した曲も存在する。速弾き 、タッピング 、スウィープ など技術的には当代屈指の存在とされる。その他、スティーヴ・ヴァイ 、ポール・ギルバート 、ザック・ワイルド などに影響を受けたと語っている。
2002年 頃まではランディ・ローズ が使用していたことでも有名なジャクソン のランディ・ローズ・モデル を使用していたが、盗難に遭った時に『ESP 』社から提供を受け、その後は同社のシグネチャー・モデルを使用している。カラーは何種類かあり、ステージではチューニング ごとに使い分けている。また、彼が使用した最初のギターは東海楽器のストラト である。ギターはフロイドローズトレモロ に1ピックアップ のシンプルな仕様で、エフェクター もあまり使用しない。
ボーカルスタイルはいわゆる正統派のデスヴォイス とはやや異なり、がなり気味の低音で吐き捨てる類のスラッシュメタル的なスタイルである。
逸話
バンド内でもトップを争う型破りな行動が有名。それにより怪我をすることも多い。主な事故は以下の通り。
2003年 9月 胸・脇腹を痛め、名古屋公演が中止に。東京公演は痛み止めを飲んで演奏。
2004年 12月 車の屋根に乗って遊んでいたところ転落し右腕を骨折、当時レコーディング中だったアルバム『ARE YOU DEAD YET?』の完成が遅れる。
2006年 2月 バルセロナ 公演中突然照明が消えモニタースピーカーに右足親指をぶつけ骨折。そのままツアーを続ける。
2007年 2月 ボウリング場で肩を骨折。UAEでのフェスをキャンセル。
関連項目
参考
^ ALEXI LAIHO's Wife Shares Photos Of His Private Funeral Service blabbermouth.net 2021年2月4日 2021年2月7日閲覧
^ http://www.roadrunnerrecords.com/blabbermouth.net/news.aspx?mode=Article&newsitemID=18446
^ a b 『Chaos Ridden Years』収録のドキュメンタリー におけるアレキシ・ライホのインタビューより。
^ “Former CHILDREN OF BODOM Frontman ALEXI LAIHO Launches New Band, BODOM AFTER MIDNIGHT ”. BLABBERMOUTH.NET (2020年3月16日). 2020年3月17日 閲覧。
^ “アレキシ・ライホ、妻が死因を公表 ”. BARKS 2021年3月8日. 2021年5月14日 閲覧。
^ a b Amy Woodyatt (2020年1月4日). “Alexi Laiho, front man for Finnish metal band Children of Bodom, dies suddenly at 41” (English). CNN Entertainment . CNN . https://edition.cnn.com/2021/01/04/entertainment/alexi-laiho-children-of-bodom-death-intl-scli/index.html 2020年1月6日 閲覧。
^ チルドレン・オブ・ボドムのアレキシ・ライホ、死因が明らかに MNE JAPAN 2021年3月8日 2021年3月13日 閲覧
^ Graham Hartmann (2 April 2021). "Alexi Laiho Was 'Very Happy + Excited About the Future,' Says Bodom After Midnight Guitarist" (Interview). Loudwire. 2021年4月18日閲覧 。
外部リンク
スタジオ・アルバム ライヴ・アルバム コンピレーション・アルバム EP 関連項目