アルトゥール・モラエス
アルトゥール・ギリェルメ・モラエス・グスマン(Artur Guilherme Moraes Gusmão、1981年1月25日 - )は、ブラジル・サンパウロ州レメ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。 2011-12シーズン以降、コンスタントに実力を発揮したことから、ベンフィカ・ファンから「Rei Artur (アーサー王) 」と呼ばれている[1]。 経歴ブラジルパウリスタFCでキャリアを始め、2003年にクルゼイロECへ加入。カンピオナート・ブラジレイロ・セリエAとコパ・ド・ブラジルにて優勝を果たす。2006年からは2年間コリチーバFCへレンタル移籍する。[2]。加入1年目はクレーベル・ゲラ, ロドリゴ・ピーテルス・マルケスとのポジション争いを制し正GKになるも、2年目の2007年はエドソン・バストスにポジションを奪われ、控えGKになる。 2008年、当初は古巣クルゼイロECに復帰する予定であったが、イタリア・セリエAに属するACシエーナからオファーがあったことから欧州行きを選択した。 イタリア2008年1月4日にACシエーナと2年契約を結んだ[3]。同月の30日にACチェゼーナへレンタル移籍、18試合に出場した。 2008年6月25日、チームメイトのシモーネ・ロリアと共に同じくイタリア・セリエAに属するASローマへ移籍。この動きに併せ、ローマ側はジャンルカ・クルチを共同保有し、アーメド・アピマー・バルッソをレンタルの形でシエナ側に移籍させた。さらに、両クラブが共同保有していたダニエレ・ガッロッパの保有権を完全に渡した[4]。ローマでの最初のプレシーズンマッチ・ステアウア・ブカレスト戦で非公式デビューをするも1-3で敗戦した[5]。 2009年4月に正GKのドニが負傷した際、ジュリオ・セルジオ、ピエトロ・ピポロとの争いを制しゴールマウスを守った。しかし、2009-10シーズンはジュリオ・セルジオが正GKになり、ドニとさらに新加入のボグダン・ロボンツが控えを務める形になりアルトゥールは第4GKで事実上の戦力外となった。 ポルトガル2010年夏にエドゥアルド、パヴェウ・キェシェクと2人のGKを失ったポルトガルのSCブラガに移籍。新加入のキムがシーズンを棒に振るほどの大怪我をしたことにより、UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11予選3回戦からマリオ・フェルゲイラス、フェリペ・ヴェントゥーラ・ドス・サントスの第3GKとなる。 リーグ戦では、正GKのフェリペが12月にブラジルへと戻っていった後のフェルゲイラス、セバスティオン・マルコス・バルボーザ・ジ・オリヴェイラとのポジション争いを制し正GKに昇格した。以降は、常にゴールマウスを守りUEFAヨーロッパリーグ 2010-11準優勝に貢献した。 2011年5月20日にSLベンフィカに4年契約で移籍した[6]。1年目はエドゥアルドとのGK争いに勝ち、シーズンを通して出場。メディアやサポーターから「Rei Artur (アーサー王) 」と呼ばれるようになった。 SLベンフィカ在籍中はUEFAチャンピオンズリーグやUEFAヨーロッパリーグなどの試合も含めて合計143試合の公式戦に出場し、その内61試合は無失点で抑えている。 在籍中はUEFAヨーロッパリーグ準優勝2回、プリメイラ・リーガ優勝2回、ポルトガル・カップ優勝1回、ポルトガル・リーグカップ優勝3回、ポルトガル・スーパーカップ優勝1回と数多くのタイトルを獲得した。 トルコ2015年7月11日、SLベンフィカとの4年契約を満了したアルトゥールはトルコのオスマンルスポルFKと2年契約を締結した [7]。 タイトルクラブ
脚注
外部リンク
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