アラン・ガルシア (競馬)
アラン・ガルシア(Alan Garcia、1985年10月2日[1] - )は、ペルーのリマ出身の騎手[2]。 来歴祖父・父ともペルーの騎手という家系に生まれる[2]。幼少期はサッカー選手になることを夢見ていたが、自身の体格の小ささもあり、やがて騎手を志すようになる[3]。2002年-2003年シーズンにペルーで騎手としてデビューし、見習騎手リーディングを獲得[2]。2003年夏には友人であるアルフレド・クレメンテ騎手の勧めでアメリカ合衆国に渡り、ニュージャージー州のメドウランズ競馬場で騎乗を始めた[4]。 2007年9月29日、ラフドゥード(Lahudood)でフラワーボウルインビテーショナルステークスを勝ち、G1初制覇[5]。10月27日にはラフドゥードでブリーダーズカップ・フィリー&メアターフも制し、ブリーダーズカップ初騎乗にして勝利を掴んだ[6]。 2008年6月7日、ベルモントステークスで最低人気のダタラ(Da' Tara)に騎乗。アメリカクラシック三冠の懸かったビッグブラウン(Big Brown)が失速する中で逃げ切り勝ちを収め[6]、同三冠競走初制覇を果たした。 同年12月、日本の第22回ワールドスーパージョッキーズシリーズはアメリカ代表として当初、エドガー・プラード(ペルー出身)ともう1騎手が出場予定だったが、その騎手が出場不可となり、プラードの推薦も受けたガルシアが初出場・初来日することとなる[3]。12月6日、阪神競馬第8競走をグッドフロマージュで勝ち日本での初勝利を挙げると[7]、シリーズの対象競走で第12競走のゴールデンスパートロフィーもクリーンで勝利した。この際、クリーンの馬体重は602kgで当時のJRA史上最高体重優勝記録となり、「米国でもこんな大きな馬には乗ったことがない」とコメントした[8]。シリーズでの総合成績は11位だった[3]。 2010年3月20日、ガルフストリームパーク競馬場の第2競走をセントエリギウス(Saint Eligius)で勝ち、通算1000勝を達成[9]。 2015年からはカナダのウッドバイン競馬場に拠点を置く。この年は同地で93勝をあげ、リーディング4位という好成績を収めたが、年々成績は低下。2020年には同地を去り、アメリカ・フロリダ州の自宅へ戻った[10]。 主なG1勝ち鞍
年度別成績表北米
EQUIBASEのデータベース[11]に基づく。獲得賞金の単位はアメリカ合衆国ドル。 出典
|
Portal di Ensiklopedia Dunia