アメリカ VS イングランド (1950 FIFAワールドカップ)
1950年のアメリカ VS イングランド (1950 FIFAワールドカップ)は、1950 FIFAワールドカップのグループ2の第2戦にて行われた試合。当時世界最強と言われていたイングランド代表に対して格下であるアメリカ代表が勝利したことは世界中に衝撃を与えた。ベロオリゾンテの奇跡ともいわれる。 背景当時のイングランドはワールドカップには一度も参加したことがなかった。これは、FA(フットボール・アソシエーション)とFIFAの関係が常に悪かったからであると言われている。 しかし、関係が改善しイングランドは今回のブラジル大会に初めて名を連ねた[1][2]。戦後の成績は23勝4敗3分と圧倒的なものであり、今大会もスタンリー・マシューズ、トム・フィニーといったスター軍団を擁し初戦のチリ戦をマシューズなしで勝つなど、まさに開催国ブラジルと並ぶ優勝候補であった。 対するアメリカは、そもそも参加する選手がセミプロ選手僅かと、残りはアマチュアという今では考えられない組み合わせであり、当時のイングランド3部レベルの選手の集まりだった。中には市民権を得る意思を持っていた外国人選手もいた(後にFIFAが承認)。スコットランド人監督であるビル・ジェフリーも「勉強をしに来た。我々にチャンスはない」と答えるほどだった。初戦のスペイン戦は驚くべき先制点を挙げたものの、その後3失点し逆転負け。世界の厳しさを目の当たりにしていた最中であった[3]。 概要試合はブラジル、ベロオリゾンテのエスタジオ・ライムンド・インデペンデンシアにて行われた。イングランドはチリ戦に続きマシューズを温存して臨んでいたが、これが後に大きく裏目に出てしまう。試合は大方の予想通りイングランドのペースで始まり、前半12分までに6本のシュートを放ったがポスト直撃やGKフランク・ボーギの好セーブに阻まれた。シュートを1本しか打てていなかったアメリカは38分にMFウォルター・バーがミドルシュートを放つも力が入らず。しかし、キャッチしようとしたGKバート・ウィリアムズよりも先にFWのジョー・ゲイジェンズが早く飛び込みヘディングシュート。これがゴールに吸い込まれアメリカが先制に成功する。しかし、まだこの時点では観客達はそれほど驚いた様子ではなく、前述した通り、アメリカは初戦と同じ過ちを繰り返すと思われていた。 後半は終始イングランドの猛攻が続いた。アメリカはもはや反則覚悟のタックルと体力だけでイングランドの攻撃を凌ぎ続けた。すると、次第に観客達の興味はイングランド初のワールドカップの舞台を観戦することよりも、アメリカの思わぬ勝利を観戦することの方に向いていった。そのまま時間だけが過ぎて行き試合は終了。FIFAワールドカップ史上最大の番狂わせの一つに数えられる試合となった。 試合
その後
参考文献
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