アシッド・テスト (Assid Test[ 1] [ 2] [ 3] ) は、第二次世界大戦 時のアメリカ陸軍航空軍 第20空軍 第20爆撃集団 第58爆撃団 第462爆撃群 (英語版 ) に所属した2機のB-29 爆撃機 の機名。いずれも日本 本土への空襲 の際に、日本側の反撃によって撃墜された。
長崎県で撃墜されたアシッド・テスト
1944年 11月21日 午前10時ころ、中国 方面から長崎県 へ飛来したB-29 爆撃機 の編隊に対し、日本側の多数の戦闘機が迎撃を行なった[ 4] 。爆撃機編隊は、第21海軍航空廠 などがあった大村市 を爆撃した後、中国方面へ帰還しようとしたが、60機を超える日本側の戦闘機が攻撃を加えた[ 5] [ 6] 。
アメリカの報告書によれば、当日、大村の上空は雲で覆われていたため、レーダーによる爆撃が行われた。大村へ到着直前、第1編隊の先導機のレーダーが故障したため後方の2番機へ先導の役割を委譲した。このとき、2番機のレーダーオペレーターが大村(Omura)と大牟田(Omuta)を間違えて大牟田へ向かった。後続の数機がこれに従って大牟田を爆撃した。
第1編隊に続いていた第2編隊の先導機のレーダーも故障した。そのため後方の爆撃機へ先導の役割を委譲した。このとき、一部の爆撃機は第1編隊の後に続いた。この中にB-29「アシッド・テスト」がいた。この機体を日本の戦闘機2機[ 7] が迎撃した[ 8] 。
戦闘の中で、やがて編隊の最後尾にいた1機が高度を下げ、当時の小長井村 井崎の沖500mほどの海に墜落した[ 4] 。墜落したのは、第462爆撃群 所属のB-29「アシッド・テスト」機体番号42-24786[ 3] であった[ 5] 。これは、坂本幹彦 海軍中尉[ 9] が操縦する零戦 (一説には雷電 )の体当たり攻撃 によるものであり、坂本機は飛散して当時の深海村 の山中に落下した[ 4] [ 10] 。坂本の遺体は直後には見つからず、翌1945年 1月8日 に発見された[ 4] 。
体当たりの事実は、11月22日の新聞に大本営発表 として掲載された[ 12] 。
アシッド・テストが墜落した場所は干潟が広がる水深の浅い海であり、垂直尾翼は海面上に突き出る形になっていた[ 4] 。墜落時にアシッド・テストに搭乗していた乗員は、機長ジョセフ・キルブルー大尉 (Capt. Joseph Killebrew) [ 13] 以下11名であった[ 4] [ 5] 。このうち8名(一説には9名)分については墜落した機内から遺体が回収されて、小川原浦集落に仮埋葬された[ 4] 。また、周辺に漂着した米兵と思しき遺体があり、全員の遺体が回収された可能性が高いものと考えられている[ 4] 。これら埋葬された遺骨、遺灰は、その後、米軍によって本国へ移された[ 4] [ 注釈 1] [ 注釈 2] 。
1992年 には坂本中尉(戦死後2階級特進して少佐)を慰霊する「坂本少佐慰霊碑」[ 17] が、1993年 にはB29搭乗員のための「鎮魂碑」[ 18] が、地元の有志によりそれぞれの機の墜落地点近くに建立されている[ 5] [ 6] 。
この機体に搭載されていたレーダー装置は1944年12月初旬陸軍多摩研究所霞分室に運ばれ、陸海軍合同で分解調査された[ 20] 。
慰霊
2024年11月21日、諫早市立小長井小学校 に隣接するB29搭乗員鎮魂碑のところ(諫早市小長井町 )で「日米友好追悼の会」(会長 荒川明継)主催による追悼式が行われた。遺族や市民有志、周辺の学校の生徒、海上自衛隊、佐世保のアメリカ海軍 の関係者など約150人が参列して犠牲者に祈りをささげた[ 21] [ 22] 。同じ日、多良岳 山腹(諫早市高来町 の山中)にある坂本少佐慰霊碑の前でも追悼式が行われた。坂本少佐と同日に空中戦で亡くなった3名の氏名を銘記したプレートが設置された[ 23] [ 24] [ 注釈 3] 。
京都府で撃墜されたアシッド・テストII
「アシッド・テスト」という愛称は、その後、第462爆撃群 所属の別のB-29に付けられ、機体番号42-65336[ 3] が「アシッド・テストII (Assid Test II)」と称された[ 1] [ 2] [ 26] 。
1945年 6月5日 午前8時ころ、神戸への空襲 を終え、マリアナ諸島 方面へ帰還しようとしていたアシッド・テストIIは、京都府 上空で高射砲 の攻撃により被弾、炎上、さらに空中分解して、当時の小倉村 伊勢田付近に墜落した[ 26] 。墜落時にアシッド・テストIIに搭乗していた乗員は、機長ユージン・F・トーヴェンド少佐 (Maj. Eugene F. Torvend) [ 27] 以下12名のうちトーヴェンド少佐を含む6名が墜落死し、他の6名はパラシュートで脱出して捕虜となったものの、そのうち5名はその後の抑留中に傷病死し、1名は7月20日に信太山演習場 で処刑された[ 26] [ 28] 。
脚注
注釈
^ 機体周辺には次のようなものが浮遊していた。ガールフレンドらしい人の写真、ゲートパス、財布、内容から見るとラブレターと思われる手紙、極めて精密な大村の航空写真など。その他に、軍靴、食料品、パラシュート、釣り具などがあった。
^ 機体は、分解され運搬船で海路を第21海軍航空廠に運ばれ組み立て展示された。機体の一部は陸揚げされた。250Kg爆弾9個、機銃弾かます一俵、プロペラ一基などであった。
^ 1944年11月21日、坂本少佐と同じく諫早および大村松原 上空の空中戦で亡くなっていた3名の氏名プレート。「時の息吹」として、清水貞治 飛長、沢田幸男 2飛曹、河原正秋 少尉 の氏名が銘記された[ 25] 。
出典
^ a b http://www.aviationatwar.com/photo-details.php?id=455
^ a b https://www.worthpoint.com/worthopedia/29-42-65336-assid-test-ii-462nd-bg-81625286
^ a b c B-29 Superfortress: A Comprehensive Registry of the Planes and Their Missions, Robert A. Mann, Mcfarland & Co Inc Pub, 2009/1/28, ISBN 978-0786444588 , page 89
^ a b c d e f g h i 犬尾博治 (2023年2月1日). “坂本中尉機とボーイングB29 ”. 諫早市. 2024年11月18日 閲覧。 - 初出は、諫早ロータリークラブ卓話(1985年7月26日)
^ a b c d David R. Krigbaum (2015年11月24日). “World War II Japanese Fighter and American Bomber Crew Commemorated in Isahaya ”. Stars and Stripes. 2017年10月31日 閲覧。
^ a b “第22航空隊 ~航空隊の横顔~ 坂本少佐慰霊碑、B-29搭乗員鎮魂碑清掃 平成26年1月 ”. 海上自衛隊第22航空群. 2017年10月31日 閲覧。
^ アメリカは「雷電 」(Jack)と記録しているが日本は「零戦 」としている。
^ Mission 17, Omura, 21 November 1944 国立国会図書館デジタルコレクション
^ 坂本中尉は、1922年(大正11年)11月23日秋分の日生まれ。佐賀県東松浦郡相知村出身。父親は、相知町にある熊野神社宮司であった。
^ 神立 尚紀 『「B-29」に体当たりをした者も…撃墜確実12機、撃破31機の「大戦果」を挙げた三五二空の隊員たち』 マネー現代(講談社) 2022-02-26 B-29に体当たりし、撃墜した…
^ 神立 尚紀 『「B-29」に体当たりをした者も…撃墜確実12機、撃破31機の「大戦果」を挙げた三五二空の隊員たち』マネー現代(講談社)2022-02-26 「零戦」「雷電」の名と共に大戦果が発表された
^ Capt Joseph P Killebrew - Find a Grave (英語)
^ Google Maps – 坂本少佐慰霊碑 (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc . 2024年11月18日閲覧 。
^ Google Maps – B29搭乗員鎮魂碑 (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc . 2024年11月18日閲覧 。
^ 戦時中の米軍レーダーの調査 東京大学名誉教授 霜田光一
^ NHK長崎放送局 2024-11-21 空中戦で墜落から80年 日米乗組員の追悼式典(長崎県 諫早市)
^ NIB長崎国際テレビ 2024-11-21 日米両国から参加「引き継ぐことが我々の使命」80年前の戦闘機交戦で戦死の日米搭乗員追悼式《長崎》
^ 長崎新聞 2024-11-21 ゼロ戦とB29の諫早墜落から80年 日米搭乗員を追悼、平和誓う「後世に語り継いでいく」 長崎
^ 読売新聞 2024-11-21 日米友好の追悼 零戦とB29交戦から80年 諫早
^ NBC長崎放送 2024-11-21 「戦争は汚く嫌なもの」零戦とB29が繰り広げた80年前の空中戦 日米双方の犠牲者を追悼【長崎】
^ a b c “本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士 中部軍管区 ”. POW研究会. 2017年10月31日 閲覧。
^ Maj Eugene F Torvend - Find a Grave (英語)
^ “JUNE 1945 MISSIONS ” (PDF). Rick Feldmann/9th Bomb Group (VH). 2017年10月31日 閲覧。
参考文献
犬尾博治「坂本中尉機とボーイングB29」『諫早文化』第16号、諫早文化協会、1986年、102-107頁。
田﨑保時「坂本中尉のB29へ体当たりの回想記」『諫早史談』第35号、諫早史談会、2003年、86-91頁。
中原俊治「B-29搭乗員鎮魂碑とゼロ戦坂本中尉の慰霊碑」『諫早史談』第46号、諫早史談会、2014年、05-10頁。
外部リンク