アイトール・ララサバル
アイトール・ララサバル・ビルバオ(Aitor Larrazábal Bilbao、1971年6月21日 - )は、スペイン・バスク州ルフア出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。現在はSDログロニェスの監督を務める。 現役時代は、アスレティック・ビルバオのみで公式戦440試合以上に出場したワン・クラブマンであり、同クラブではPKキッカーを任されていたほどのシュート精度を持つ[1]。また、PKの影響もあり、ラ・リーガでは13シーズン連続で得点を挙げた[2]。 選手経歴ララサバルはバスク州のビルバオにあるルフア地区に生まれ、11歳の時にアスレティック・ビルバオのカンテラに加入した。1989-90シーズン、リザーブチームでプロデビューを果たした。このデビューシーズン、ララサバルは18歳だったが、リーグ戦36試合に出場して1ゴールを挙げた。 1990年9月2日、CDテネリフェとのリーグ戦でトップチームデビューを飾った[3]。この1990-91シーズンも1部デビューシーズンながら20試合に出場し、翌1991-92シーズンから正式にトップチーム昇格が決まった。1997-98シーズン、ララサバルはキャリアハイとなるリーグ戦7ゴールを挙げ、チームのリーグ準優勝に大きく貢献した。このシーズンにリーグ準優勝したことで、アスレティック・ビルバオは翌シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。 1998-99シーズン、ララサバルはキャリア初となるCL出場を果たした。グループリーグはユヴェントスFC、ローゼンボリBK、ガラタサライSKと同組だったが、1勝3分2敗の成績でギリギリのグループリーグ突破を成し遂げた。ララサバルは、第2節のローゼンボリ戦での一発退場以外は全試合にスタメンフル出場をし、グループリーグ突破に貢献した。GL突破を決めたアスレティック・ビルバオだったが、ベスト16のFCディナモ・トビリシ戦で2試合合計3-1と完敗し、アスレティック・ビルバオは大会敗退が確定した[4][5]。 2000-01シーズン、Bチームからアシエル・デル・オルノがトップチームに昇格してくると、徐々に出番を奪われ始め、32歳となった2003-04シーズン終了後に現役引退を発表した[6]。 監督経歴ララサバルは現役引退後、すぐに指導者に転向し、2009年からセグンダ・ディビシオンBのSDレモーナの監督に就任にして指導者キャリアをスタートさせた。レモーナでは、クラブをリーグ戦6位に引っ張り、セグンダ・ディビシオン昇格プレーオフまであと一歩のところまで到達した。レモーナでの2シーズン目、クラブをコパ・フェデラシオン準優勝に導き[7]、シーズン終了後にアスレティック・ビルバオのスポーツディレクター職に誘われ、SDに就任した[8][9]。 2016年4月、セグンダBのマルベジャFC監督に就任した[10]。しかし、わずか3ヶ月で解任され、解任後すぐにSDアモレビエタの監督に就任[11]。 2017-18シーズンと2018-19シーズンはバラカルドCFを率いた[9][12]。2018-19シーズンにはリーグ38試合18勝7分13敗の成績でセグンダ昇格プレーオフ出場を果たしたが、2部昇格には至らなかった。 2019-20シーズンはサラマンカCF UDSの監督に就任するも、2020年2月、成績不振によって解任された。 2020年6月30日、再びバラカルドCFの監督に就いた[13]。 2023年12月26日、SDログロニェスの監督に就任した[15]。 人物実子のガイスカ・ララサバルも同じくサッカー選手である。2019-20シーズンにはアスレティック・ビルバオでもプレーし、現在はカーザ・ピアACに所属している[16][17]。 個人成績クラブ
監督
関連項目脚注
外部リンク
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