あま市立七宝小学校(あましりつ しっぽうしょうがっこう)は、愛知県あま市七宝町桂角田1777番地にある公立小学校。
校区
旧・海部郡七宝町の小学校である。校区は七宝町安松、七宝町下田、七宝町桂(一部)、七宝町川部(一部)である。
あま市立七宝中学校の学区に含まれている[1] [2]。
沿革
七宝小学校の公式ウェブサイトでは、開校は1947年(昭和22年)となっているが[3]、ここではそれ以前についても記述する。
- 1873年(明治6年)
- 3月 - 伝芳学校が開校。覚了寺[注釈 1]を仮校舎とする。遠島村、沖之島村の児童が通学する。
- 8月 - 義校[注釈 2]が開校。桂郷内の法光寺[注釈 3]を仮校舎とする。秋竹村、桂村、川部村、下田村、伊麦村、安松村の児童が通学する。後に広済寺[注釈 4]を仮校舎とする。
- 1874年(明治7年)4月 - 義校が精貫学校に改称する。
- 1877年(明治9年) -
- 伝芳学校が島松学校に改称する。安松村が校区に加わる。
- 精貫学校が桂学校に改称する。伊麦村に分教場を設置。安松村が島松学校に移る。
- 1877年(明治10年)8月 - 島松学校が沖之島学校と遠島学校に分立する。沖之島学校は覚了寺を仮校舎とし、遠島学校は安了寺[注釈 5]を仮校舎とする。
- 1878年(明治11年) - 沖之島学校が校舎を新築し、移転する。
- 1880年(明治13年) - 遠島学校が民家を仮校舎とする。翌年、別の民家に移転する。
- 1881年(明治14年)7月31日 - 桂学校の伊麦村の分教場が独立し、伊麦学校となる。伊麦学校には伊麦村、徳実村、下之森村、鯰橋村、鷹居村の児童が通学する。
- 1882年(明治15年)3月31日 - 桂学校が校舎を新築し、移転する。
- 1883年(明治16年)1月 - 遠島学校が校舎を新築し、移転する。
- 1885年(明治18年)3月 - 遠島学校に沖之島学校が統合する。沖之島学校は沖之島分教場となる。
- 1887年(明治20年)4月1日 - 伊麦学校が廃校。徳実村、下之森村、鯰橋村、鷹居村の児童は須成村(現・蟹江町)の須成学校に移る。伊麦村の児童は桂学校に移る。桂学校は教室が不足したため、広済寺に分教場を設置する。
- 1888年(明治21年)7月 - 桂学校が校舎を増築する。広済寺の分教場を廃止。
- 1889年(明治22年)10月1日 -
- 1890年(明治23年)10月1日 - 伊福村、徳実村、下之森村、鯰橋村、鷹居村が合併し、伊福村が発足。
- 1891年(明治24年)
- 10月28日 - 濃尾地震により桂学校、宝尋常小学校の校舎が全壊する。
- 11月22日 - 桂学校が旧・伊麦学校校舎を仮校舎として授業を再開する。
- 12月29日 - 桂学校が旧・伊麦学校校舎から民家に移転する。
- 1892年(明治25年)
- 5月 - 伊福村に伊福尋常小学校が開校。桂学校、須成学校から児童が移る。
- 7月 - 桂学校が井和尋常小学校に改称する。
- 1893年(明治26年)
- 7月22日 - 井和尋常小学校が校舎を新築し、移転する。
- 11月 - 宝尋常小学校が校舎を新築する。宝尋常小学校沖之島分教場が独立し、沖之島尋常小学校となる。
- 1900年(明治33年)6月18日 - 井和尋常小学校が地蔵堂分教場を設置する。
- 1906年(明治39年)7月1日 - 宝村、井和村、伊福村が合併し、七宝村が発足。
- 1907年(明治40年)2月27日 -
- 井和尋常小学校と伊福尋常小学校が統合し、七宝尋常小学校となる。統合校舎は無く、旧・井和尋常小学校を井和分教場、旧・伊福尋常小学校を伊福分教場、旧・ 井和尋常小学校が地蔵堂分教場を地蔵堂分教場とし、広済寺に広済寺分教場を設置する。
- 宝尋常小学校と沖之島尋常小学校を統合し、遠島尋常小学校となる。統合校舎は無く、旧・宝尋常小学校を宝分教場、旧・沖之島尋常小学校を沖之島分教場とする。
- 1909年(明治42年)
- 4月1日 - 七宝尋常小学校に高等科を設置し、七宝尋常高等小学校に改称する。
- 8月7日 - 七宝尋常高等小学校の統合校舎の一部が完成する。井和分教場、伊福分教場、地蔵堂分教場、広済寺分教場を廃止。
- 1910年(明治43年)4月 - 安松が遠島尋常小学校から七宝尋常高等小学校に移る。
- 1911年(明治44年)5月15日 - 七宝尋常高等小学校の校舎の竣工式を行う。
- 1930年(昭和5年)12月9日 - 七宝尋常高等小学校と遠島尋常小学校を統合し、七宝尋常高等小学校となる。統合校舎は無く、旧・七宝尋常高等小学校を南部仮教場、旧・遠島尋常小学校を北部仮教場とする。
- 1936年(昭和11年)3月5日 -
- 統合校舎を七宝村大字桂字角田1777(現在地)に新築する。
- 南部分教場を七宝村大字伊福字下河原127[注釈 6]に新築し、移転。尋常科1・2年が通学する。
- 北部分教場を七宝村大字遠島字大切戸1478[注釈 7]に新築し、移転。尋常科1・2年が通学する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 七宝国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 七宝村立七宝小学校に改称する。南部分教場は伊福分校、北部分教場は遠島分校に改称する。分校は1・2年が通学する。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 七宝村が町制施行し、七宝町となる。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 遠島分校が独立し、七宝町立宝小学校が開校する。
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 伊福分校が独立し、七宝町立伊福小学校が開校する。
- 1978年(昭和53年)4月1日 - 七宝町立秋竹小学校を分離する。
- 2010年(平成22年)3月22日 - 七宝町、美和町、甚目寺町が合併し、あま市が発足。同時にあま市立七宝小学校に改称する。
七宝小学校講堂
1936年(昭和11年)竣工の七宝小学校講堂が現存している[4]。木造平屋建、延床面積は400m2。屋根はトタンなどの瓦棒葺[4]。七宝小学校講堂はあま市に現存する最古の公共施設とされる[4]。また、鉄筋コンクリート造の正門も講堂と同時期の竣工である[4]。
交通アクセス
- 名鉄バス名古屋・津島線【40系統・41系統・43系統・44系統】「安松」バス停より徒歩約5分。
- あま市巡回バス南部巡回ルート「七宝公民館」バス停より徒歩約3分。
- 名鉄津島線七宝駅下車、徒歩約40分。
周辺施設
脚注
注釈
- ^ 現在の愛知県あま市七宝町沖之島中屋敷12にある寺院。
- ^ 校名は不明。
- ^ 現在の愛知県あま市七宝町桂郷内1608にある寺院。美和町花正の法光寺とは異なる。
- ^ 現在の愛知県あま市七宝町桂寺附1679にある寺院。
- ^ 現在の愛知県あま市七宝町遠島八幡島722にある寺院。
- ^ 現在のあま市立伊福小学校の東に該当。
- ^ 現在のあま市立宝小学校の西に該当。
参考文献
- 七宝町郷土史研究委員会『七宝町史』七宝町、1976年、pp. 139-145
関連項目
外部リンク