Z40/41・Z42/39次列車
Z40/41・Z42/39次列車(中国語: Z40/41、Z42/39次列车)とは、中華人民共和国上海市と新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)ウルムチ市を結ぶ、中国鉄路総公司ウルムチ鉄路局が運行する優等列車である。日本ではシルクロード特快と呼称されることもある[3][4]。Z40、Z41はウルムチ行き、Z42、Z39は上海行きの列車番号であり、どちらも途中の徐州駅で列車番号が変更される。 概要Z40/41・Z42/39次列車はウルムチ鉄路局が運行する直達特快列車で、乗務員はウルムチ鉄路局ウルムチ客運段上海行き列車チームが担当している。使用車輛は25T系客車で、運行距離は4,056kmである。Z40/41・Z42/39次列車は途中、京滬線、隴海線、蘭新線、蘭新線第二複線を経由し、その経路は上海市、江蘇省、安徽省、河南省、陝西省、甘粛省、青海省、新疆ウイグル自治区の8つの省区に跨り、百里風区やゴビ砂漠などの景勝地を通過する。Z40/41・Z42/39次列車は、2006年に広州-ラサ間のZ264/265・Z266/263次列車が運行を開始するまで、モスクワ行き列車と臨時列車を除けば中国最長距離かつ最長運行時間となり、沿線の自然環境が最も苛酷な列車であった。 上海発ウルムチ行き列車の所要時間は38時間51分で、使用される列車番号はZ40/41次である。ウルムチ南駅発上海行き列車の所要時間は39時間29分で、使用される列車番号はZ42/39次である。2007年には、中国鉄道部から10年連続で「紅旗列車」、「五一労働獎状」、「青年文明号」などの称号を贈られ、300あまりの列車や駅から顧客満足度1位に選ばれた[5]。 歴史Z40/41・Z42/39次列車の前身は、1960年代初期に運行を開始した上海~ウルムチ間の列車である。列車番号は52/53・54/51次で、1960年代当時、上海と中国西北部を結ぶ唯一の列車であった。しかし1968年までは南京長江大橋が未完成であったため、上海~ウルムチ間を移動するのに101時間3分を要した[6]南京長江大橋開通後、52/53、54/51次列車の運行時間は短縮したが、1997年4月1日に第一次大提速(ダイヤ改正)が行われるまで、上海~ウルムチ間の所要時間は76時間35分であった。 文化大革命の期間、上山下郷運動によって都市部の青年たちの農村への移住が半強制的に勧められたため、52/53・54/51次列車の主な乗客は知識青年たちであった。知識青年たちは移住のため多くの荷物を持参していたのだが、上海~ハルビン間で運行された56次列車と並んで盗難被害が相次いだ。そのため被害に遭った知識青年たちは52/53・54/51次列車のことを「強盜車」と呼んだ[7][8][9]。作家王安憶は、自身の短篇小説『この列車の終着駅』(本次列车终点)及び『51/52次列車』(51/52次列车)で、東トルキスタンから上海に戻る、この時代の51次列車のことを題材にしている。 1997年,52/53・54/51次列車は空調車に置き換えられた[10]。2000年10月21日、第三次大提速が行われ、52/53・54/51次列車は特快列車に格上げの上、列車番号がT52/53・T54/51次に変更された[11][12]。さらに2014年12月10日には、T52/53・T54/51次列車は直達特快列車に格上げの上、列車番号がZ40/41・42/39次列車に変更された。Z41/42の列車番号は元々天津~上海間の直達特快列車に使用されていたが、2009年8月15日に廃止されて以降欠番となっていた[13]。また蘭新線第二複線の開通に伴い、2014年12月28日より西寧駅を経由するようになった[14]。 (2016年10月)現在、上海~ウルムチ間の所要時間は39時間22分であるが、中国国内列車で最も運行時間の長い列車はチチハル~ウルムチ間で運行されているK1082/1083・K1084/1081次列車で、その運行時間はチチハル行きで67時間32分に及ぶ[15]。 列車編成牽引機
客車
時刻表
脚註
参考文献
関連項目外部リンク |
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