THE HEART
THE HEART(ザ・ハート)は、井口一彦を中心に1983年に結成されたバンド。1988年にデビュー、1992年に解散した。 メンバー
元メンバー
サポート・メンバー
概要・来歴1983年、井口・辻・後藤のバンドに斉藤が加入、THE HEART始動。1985年、ヤマハEastWestでグランプリ受賞。当時ドラマーであった辻はベストドラマー賞も受賞。1988年2月、アルバム『CHAPMAN』でデビュー。メンバー・チェンジは激しかったが井口の迫力あるボーカルである程度の成功を収める。BEAT CHILDや広島平和コンサート、ロックンロールバンドスタンドなどのイベントにもデビュー前年から複数回参加。1992年、解散。2005年、一時的に再結成、各地でライブを敢行。2007年以降、活動は行われていない。 エピソードアマチュア時代、コンテストに数多くエントリーしていた理由は1984年のYAMAHA EastWestでTHE HEARTが予選敗退に終わり、知り合いのバンドを全国大会会場である中野サンプラザに観に行ったこと悔しさからと言われている。その大会は後の"中期"~"後期"のTHE HEARTの要的存在藤尾領率いるA-JARIも出場していた。 1985年のYAMAHA EAST&WESTのジュニア部門でグランプリを受賞したが、当時の大手レコード会社7社からのオファーはあったものの、芸能事務所からの誘いはなかった。その事実を隠されたままYAMAHAから誘いがあったが、席上で他社からのオファーがあった話を聞いた井口はYAMAHAの誘いを全面的に断った。 THE HEARTの1stアルバム『CHAPMAN』は、ジョン・レノンを銃殺した犯人、マーク・チャップマンを題材にしたものであるが、井口含め当時のメンバーはジョン・レノンやビートルズに興味はなかった。 所属事務所はマザーエンタープライズ。レコード会社は同社のレコードレーベル、Mother&Childrenであったが、レーベルは後にアルファ・ムーンと合併しMMGとなり、その後イーストウエスト・ジャパンと社名変更、ワーナーミュージック・ジャパンに吸収合併されている。 当時、ライヴで使用していたオベーションは尾崎豊所有のものだった。 当初、デビューはもっと早い時期に予定されていたが、RED WARRIORSのデビューが重なり、伸ばし伸ばしにされた。しかし、RED WARRIORSとの新宿LOFTでの対バンライヴがあった事により所属事務所から直接契約交渉を受ける事になった。 ディスコグラフィーアルバム
シングル
ビデオ
自主制作
オムニバス
タイアップ一覧
参考“THE HEART作品”. オリコンスタイル. 2015年1月24日閲覧。 脚注出典 |
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