CH3 SH とCH3 I のSN 2反応の球棒モデル 表現
SN 2反応の遷移状態
SN 2反応 (エスエヌツーはんのう)は有機化学 で一般的な反応機構 の一つである。この反応 では、結合が1本切れ、それに合わせて結合が1本生成する。SN 2反応は求核置換反応 である。"SN " は求核置換反応 であることを示し、"2" は律速段階 (英語版 ) が2分子反応 であることを示している。そのほかの主な求核置換反応としてSN 1反応 がある[ 1] 。
また、「2分子求核置換反応」とも呼ばれる。無機反応の場合は結合性置換反応 (英語版 ) あるいは交換機構 (interchange mechanism) とも呼ばれる。
反応機構
この反応は脂肪族化合物 のsp3 炭素に電気陰性度 の大きい安定な脱離基 (Xとする。ハロゲン であることが多い)が結合している場合に起こりやすい。C–X結合が切れ、新たに求核剤 (YまたはNuと表記される)との結合C–YないしC–Nuが同時に生成する。このとき炭素原子は求核攻撃を受けて五配位 の遷移状態 となっており、sp2 混成軌道を作っている。求核剤は、自身の非共有電子対 の軌道とC–X結合の反結合性 軌道σ* の重なりが最大となる、脱離基と180°反対側から炭素を攻撃するため、脱離基は求核剤と反対側から押し出され、求核剤が結合した炭素を中心として点対称 となる四面体形 化合物が生成する。
基質 がキラル だった場合、立体配置 (立体化学 )が反転する。これはヴァルデン反転 と呼ばれる。
SN 2反応の例として、Br− (求核剤)がクロロエタン (求電子剤 )と反応してブロモエタン ができ、塩化物 イオンが脱離する反応がある。
クロロエタンと臭化物イオンのSN 2反応
SN 2反応は基質において反応する炭素の周囲に置換基 による立体障害 がない時に起きる。ゆえに、この反応 は立体障害の少ない一級の炭素 上で起きることが多い。中心となる炭素が三級であるなど、脱離基周辺の置換基が立体的に混み合っている場合は、SN 2反応ではなくSN 1反応 が起きやすい(三級の炭素の方がカルボカチオン 中間体 が安定になるため)。
反応速度を決める因子
SN 2反応の反応速度を決める因子は4つある[ 2] 。
基質
基質が反応速度 を決めるのに最も大きな役割を果たしている。これは求核剤が基質を後ろから攻撃し、脱離基との結合 を切断して求核剤との結合を作るためである。ゆえに、SN 2反応の反応速度を最大にするためには、基質の後ろ側の立体障害ができるだけ少なくなるようにしなければならない。これは、メチル基の炭素や一級の炭素が反応する場合最も速度が速く、二級の炭素が反応する場合はそれより遅くなる。三級の炭素では立体障害が大きいためSN 2反応は起こらない。脱離基が抜けることで共鳴安定化 などにより安定なカルボカチオンが生成する場合、SN 2反応の代わりにSN 1反応が起こる。
求核剤
基質と同様に、求核剤の強さも立体障害の度合いに依存する。例えばメトキシド (英語版 ) アニオン は強塩基 であり、かつメチル基が立体的に混み合っていないため、強い求核剤となる。一方tert -ブトキシド は、強塩基 でありながら中心の炭素にメチル基 が3つ結合しているため弱い求核剤である。また、求核剤の強さは電気陰性度 や電荷にも依存する。負電荷が大きく、電気陰性度が小さい物質を強い求核剤と呼ぶ。例えば、OH− は水よりも強い求核剤で、I− はBr− より強い求核剤である(極性溶媒 において)。非プロトン性極性溶媒 中では、溶媒と求核剤の間で水素結合 が生成しないため求核剤は周期表 上で上に行くほど強くなる。この場合、求核剤の強さは塩基 としての強さに比例する。したがって、この場合I− はBr− より塩基としては弱いため、弱い求核剤となる。つまり、強い求核剤や、陰イオン性の求核剤は求核置換反応 ではSN 2反応を起こしやすいということである。
溶媒
溶媒も、求核剤の周りに大量にあり、結合しようとする炭素原子に求核剤が接近するのを妨げるか妨げないかに影響するので、反応速度に影響を及ぼす。テトラヒドロフラン (THF)のような非プロトン性極性溶媒はプロトン性溶媒 よりも溶媒として好ましい。それは、プロトン性溶媒は求核剤と水素結合 を形成し、脱離基と結合している炭素を攻撃するのを妨げるからである。比誘電率 が低く、分子間力 の小さい非プロトン性極性溶媒は、求核置換反応ではSN 2反応を起こしやすい。このような溶媒には、DMSO やDMF 、アセトン などがある。非プロトン性極性溶媒中では、求核剤の強さはその塩基としての強さに対応している。
脱離基
脱離基のアニオンとしての安定性や、炭素原子との結合の強さも反応速度に影響する。脱離基の共役塩基 が安定であるほど、結合の共有電子対 を持って行きやすい。ゆえに、脱離基の共役塩基が弱く、それに対応する酸 が強いほど、好ましい脱離基であると考えられる。ゆえに、よい脱離基の例としてはハロゲン化物 (炭素との結合が強すぎるフッ素 を除く)やトシル 塩がある。しかし、HO− やH2 N− などはよい脱離基とはいえない。
反応速度論
SN 2反応は二次反応 であり、律速段階 の反応速度 r は求核剤の濃度
[
Nu
− − -->
]
{\displaystyle {\ce {[Nu^-]}}}
と基質の濃度
[
RX
]
{\displaystyle {\ce {[RX]}}}
によって決まる。
r
=
{\displaystyle {\ce {r =}}}
k
[
RX
]
[
Nu
− − -->
]
{\displaystyle {\ce {[RX][Nu^-]}}}
これがSN 1反応とSN 2反応の決定的な違いである。SN 1反応は律速段階が終了してから求核攻撃が始まるのに対し、SN 2反応では求核剤が炭素に結合するのと同時に脱離基を押し出すのが律速段階となる。言い換えれば、SN 1反応の速度は基質の濃度だけで決まるのに対し、SN 2反応の速度は基質と求核剤の両方の濃度に依存する。どちらの反応も起きうる場合(反応する炭素が二級の場合)は、どちらがどのくらい起きるかは溶媒、温度、求核剤の濃度、脱離基によって決まる。
SN 2反応は一般的に一級ハロゲン化アルキル において、もしくは二級ハロゲン化アルキルが非プロトン性溶媒中にあるときに起こりやすい。この反応は三級ハロゲン化アルキルでは立体障害のため無視できる程度しか起こらない。
また、α-ハロケトン (英語版 ) ではハロゲン化アルキルより速い速度で反応が進行する[ 3] 。これは隣接するアシル基 によって反応が加速されるためである[ 4] 。
E2反応との競合
SN 2反応と同時に起こる副反応 (英語版 ) としてはE2反応 がある。反応するアニオンが求核剤としてではなく塩基として働いた場合、プロトン を引き抜いてアルケン を生成する。これは反応するイオンが立体的に混み合っていて、基質がプロトンを引き抜かれやすい時に起きやすい反応である。脱離反応は温度が高いと起きやすい[ 5] が、これは温度上昇に伴いエントロピー が増大するためである。これは気体状態で硫酸塩 と臭化アルキル を質量分析器 の中で反応させると観測できる[ 6] [ 7] 。
ブロモエタン の場合は、生成物は置換生成物が優先する。求電子剤 周辺の立体障害 が大きくなるにつれて、例えば臭化イソブチル では脱離生成物が優先する。また、塩基性が強い場合脱離が優先する。弱い塩基である安息香酸 塩が基質のとき、2-ブロモプロパン と反応すると55%が置換反応を起こす。一般に、この反応では溶媒効果 のあるなしにかかわらず、気相中での反応と溶液中での反応は同じ傾向を示す。
ラウンドアバウト機構
2008年、塩化物イオンとヨードメタン を交差分子線法(crossed molecular beam imaging )と呼ばれる特殊な技術を使って気相中で反応させることでSN 2反応のラウンドアバウト機構 (roundabout mechanism)が観測され、注目を浴びた。これは塩化物イオンを十分に加速し、衝突させて反応させたあとのヨウ化物 イオンのエネルギーが予想よりずっと低かったために発見され、実際にヨウ素原子が分子から追い出される前にメチル基の周りを1周回っているためにエネルギーが失われているということが理論化された[ 8] [ 9] [ 10] 。
脚注
^ McMurry, John E. (1992), Organic Chemistry (3rd ed.), Belmont: Wadsworth, ISBN 0-534-16218-5
^ Smith, Michael B.; March, Jerry (2007), Advanced Organic Chemistry: Reactions, Mechanisms, and Structure (6th ed.), New York: Wiley-Interscience, ISBN 0-471-72091-7 , http://books.google.com/books?id=JDR-nZpojeEC&printsec=frontcover
^ 笹川 慶太、山高 博 (2009). “フェナシルクロリドとアルコキシドイオンとの反応における生成物比への置換基効果”. 第20回基礎有機化学討論会(第39回構造有機化学討論会・第59回有機反応化学討論会) . doi :10.11494/kisoyuki.2009.0.187.0 .
^ 片山 美佳、山高 博 (2006). “シルクロロメタン類のSN 2反応の経路に関する実験的研究”. 第18回基礎有機化学連合討論会 . doi :10.11494/kisoyuki.18.0.245.0 .
^ JAMES. “Elimination Reactions Are Favored By Heat ”. Master Organic Chemistry. 2017年2月21日 閲覧。
^ Scott Gronert (2003). “Gas Phase Studies of the Competition between Substitution and Elimination Reactions”. Acc. Chem. Res. 36 (11): 848-857. doi :10.1021/ar020042n .
^ これにはエレクトロスプレーイオン化 法が用いられており、その方法で求核剤を検出するには電荷を持った反応生成物が必要であることから、反応性が低く他のアニオンと容易に区別できる硫酸塩が加えられている。置換生成物と脱離生成物の量の比はそれらの分子のイオンの強さの比から求められる。
^ J. Mikosch, S. Trippel, C. Eichhorn, R. Otto, U. Lourderaj, J. X. Zhang, W. L. Hase, M. Weidemüller, and R. Wester (2008). “Imaging Nucleophilic Substitution Dynamics”. Science 319 : 183-186. doi :10.1126/science.1150238 .
^ John I. Brauman (2008). “PERSPECTIVES CHEMISTRY: Not So Simple”. Science 319 (5860): 168. doi :10.1126/science.1152387 .
^ Carmen Drahl (2008-01-14). “Surprise From SN 2 Snapshots Ion velocity measurements unveil additional unforeseen mechanism” . Chemical & Engineering News 86 (2): 9. https://pubs.acs.org/cen/news/86/i02/8602notw1.html .
関連文献
関連項目