FNRS-3
FNRS-3はフランス海軍のバチスカーフ(深海探査艇)である。スイスの物理学者オーギュスト・ピカールによって開発された世界初のバチスカーフであるFNRS-2を改造して製造された[1][2]。 概要FNRS-2は1948年11月3日にヴェルデ岬諸島付近で無人潜航実験を行ったが、フロート(浮き)の損傷などのため有人潜航実験は実施されなかった。その後、スポンサーであるベルギー国立科学研究基金(FNRS)は、FNRS-2のフランス海軍への売却を決定した。1950年3月に協定が結ばれ、FNRS-2はFNRS-3と改名された[3][4]。当初、オーギュスト・ピカールは相談役としてフランス海軍の作業に協力していたが、のちに離脱し、息子のジャック・ピカールとともに、イタリアのトリエステで別のバチスカーフ(トリエステ)の建造を行うことになる[5]。 艇長にはフランス海軍少佐ジョルジュ・ウオが就任した[6]。1954年2月15日、ウオと技術者のピエール・ウィルム(Pierre Willm)は、ダカール沖160海里の大西洋で水深4050メートルに到達し、ピカールのトリエステによる潜航記録(水深3150メートル、1953年9月、ティレニア海)を900メートル突破した。[7][8][9][10][11] 日本近海での潜水調査1958年には、朝日新聞社の後援のもと、日仏合同の日本海溝学術調査のために日本を訪れ、6月14日から8月11日にかけ、9回にわたり金華山 (宮城県)沖、野島崎沖、相模灘などで潜航を行った[12][13]。日本側からは朝日新聞の日下実男、東京水産大学の佐々木忠義・新野弘・熊凝武晴・久保伊津男、農林省水産講習所の千葉卓夫らが参加した[14]。6月20日の2回目の潜航では、金華山沖の北緯37度46分・東経143度7分の地点で水深3000メートルまで潜航し、毎秒2センチメートル(0.035ノット)の海底流が存在することを発見した[13][15]。また、7月30日に野島崎沖東南東25キロメートルの地点で行った潜水調査では、深海散乱層(偽海底)とマリンスノーが密接に関連していることを明らかにしている[16]。 ギャラリー
脚注
文献
関連項目
外部リンク
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