CMTミュージック・アワードCMTミュージック・アワード(CMT Music Awards)は、カントリー・ミュージックのミュージック・ビデオおよびテレビ演奏の、ファン投票による賞および授賞式。毎年アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルで開催され、CMTで生中継される。投票はCMTのウエブサイトであるCMT.comで行なわれる。 歴史1967年より、現在廃刊となっている『ミュージック・シティ・ニューズ』誌によるミュージック・シティ・ニューズ・アワード (Music City News Awards ) が年に一度授賞された。1988年より、この年のザ・ナッシュビル・ネットワーク(TNN)の5周年を記念して、ファンの投票によるヴュウワー・チョイス・アワード (Viewers' Choice Awards ) が授賞された。1990年、これらの2つの賞が合併しTNN/ミュージック・シティ・ニューズ・アワード (TNN/Music City News Country Awards )となった。 1999年、TNNがミュージック・シティ・ニューズと結んだ契約が満了し、その直後ミュージック・シティ・ニューズは出版を中止。2000年、『カントリー・ウィークリー』誌がこの授賞式の提供スポンサーとなり、カントリー・ウィークリー・プレゼンツ・ザ・TNN・ミュージック・アワード (Country Weekly presents the TNN Music Awards )となった。2001年、TNNがカントリー・ミュージックへの関わりを徐々に減らしていくことになり、姉妹局のCMTにシフトすることとなった。2001年の授賞式はTNN/CMTカントリー・ウィークリー・ミュージック・アワード(TNN/CMT Country Weekly Music Awards )として両局で放送された。恒久的にCMTに移動するとカントリー・ウィークリーはこの企画から脱却。この頃視聴者は伝統的な賞であるエンターテイメント・オブ・ザ・イヤー(最高賞)、最優秀男性/女性アーティスト賞、最優秀楽曲賞のノミネート者または作品に電話または郵送で投票していた。全ての賞がファン投票であるということ以外、ほとんどの賞がCMAアワードやACMアワードと重なっていた。 2002年、当時の局のコンセプトからCMTフレイムワーシー・ビデオ・ミュージック・アワード(CMT Flameworthy Video Music Awards )と名付け、授賞式を一新した。姉妹局であるMTVのMTV Video Music Awardsに倣い、授賞そのものよりショーの要素が強まった。この過程において、伝統的な賞ではなく、カントリー・ミュージックのミュージック・ビデオに特化したものとなった。『フレイムワーシー(Flameworthy )』という造語は番組開発副部長Kaye Zusmann により作られた[1]。 伝統的な賞にとらわれず、ファニー賞、セクシー賞、愛国賞などが作られたが、数年のうちに徐々になくなっていった[2]。アリソン・クラウスやアール・スクラグスなどブルーグラスの演奏者を登場させるなどCMAアワードやACMアワードと違う独自の路線を見出した[1]。 2003年、授賞式は4月に移動したが、2009年よりCMAミュージック・フェスティバルの前夜祭とし、ファン・フェアの一部として6月に戻し、ナッシュビルへの集客が見込める他、多くのアーティストにとってスケジュール上都合の良いものとなった。 2005年、CMTミュージック・アワード(CMT Music Awards )と名を変えたが、授賞式そのものは前年と同様となった[3]。 2009年から2012年までJohn Bohlinger がバンド・リーダーとなり生演奏で行なわれた。 主要な賞の受賞者廃止された主な賞TNN、ミュージック・シティ・ニューズ、カントリー・ウィークリー時代の伝統的な賞は2001年にCMTに移行してからは廃止され、ミュージック・ビデオに特化した賞に置き換えられた。 Love Your Country Video (2002年)、LOL (Laugh Out Loud) Video (2002年)、Fashion Plate Video (2002年)、Special Achievement (2003年)、Cocky Video (2003年)、Cameo of the Year (2004年)、Comedy Video (2008年)、Tearjerker Video (2008年)、Supporting Character of the Year (2008年)は1年で、The Most Inspiring Video Award (2004年~2005年)は2年で廃止された。 2004年、革新的で先見的なミュージック・ビデオに授与されるジョニー・キャッシュ・ヴィジョナリー・アワードが開始された(2002年のビデオ・ヴィジョナリーに類似)。最初の受賞者はリーバ・マッキンタイアであった[4][5]。2007年廃止。 2006年までHottest Video of the Year が授与された(2003年のみ男女別に授与された)。ミュージック・ビデオの中でアーティスト本人または役者が特にセクシーであった場合に授与された。 2007年、Wide Open Country Video Award (この賞よりCMTピュア・カントリーの番組に『Wide Open Country 』と名付けられた)が、カントリー・ラジオ局で特に流された曲に授与された。最初の受賞者はジャック・イングラムの『Love You 』であった[6]。2009年廃止。 2009年、CMTでの演奏に授与されるCMT Performance of the Year 、新人賞に値するNationwide Is On Your Side awards が開始。Nationwide Is On Your Side awards はコマーシャル放映中に授与されたためテレビには映らなかった。 記録全体CMTミュージック・アワード史上最も受賞数が多いのは10部門受賞したキャリー・アンダーウッドである[7][8]。 部門別Video of the Year (最高賞)4回受賞したキャリー・アンダーウッドが最多受賞。[7][9] Male Video of the Year5回受賞したケニー・チェズニーが最多受賞。[10] Female Video of the Year4回受賞したミランダ・ランバートが最多受賞。[11] 受賞歴2013年2013年6月5日、『2013年、CMTミュージック・アワード』がブリヂストン・アリーナで行なわれた。司会はクリスティン・ベルとジェイソン・アルディーン[12]。
2012年2012年6月6日、『2012年、CMTミュージック・アワード』がブリヂストン・アリーナで行なわれた。司会はトビー・キースとクリステン・ベル。
2011年2011年6月8日、『2011年、CMTミュージック・アワード』がブリヂストン・アリーナで行なわれた。司会は前年に引き続きキッド・ロック。シェリル・クロウと共に『Collide 』を演奏した[13]。
2010年2010年6月9日、『2010年 CMTミュージック・アワード』がブリヂストン・アリーナで行なわれた。司会はキッド・ロック。この年からトロフィのデザインが変更された。
2009年2009年6月16日、『2009年 CMTミュージック・アワード』がソメイ・センター(現ブリヂストン・アリーナ)で行なわれた。司会はBill Engvall。[14]
2008年2008年4月14日、『2008年 CMTミュージック・アワードがベルモント大学のカーブ・イヴェント・センターで行なわれた。司会はビリー・レイ・サイラスとマイリー・サイラス。2人は『Ready, Set, Don't Go 』を演奏。[15]
2007年2007年4月16日、『2007年 CMTミュージック・アワード』がベルモント大学のカーブ・イヴェントセンターで行なわれた。司会はジェフ・フォックスワーシー。[16]
2006年2006年4月10日、『2006年 CMTミュージック・アワード』がベルモント大学のカーブ・イヴェント・センターで行なわれた。司会はジェフ・フォックスワーシー。[17]
2005年2005年4月11日、『2005年 CMTミュージック・アワード』がゲイロード・エンターテイメント・センター(現ブリヂストン・アリーナ)で行なわれた。司会はジェフ・フォックスワーシー。[18]
2004年2004年4月21日、『2004年 CMTフレイムワーシー・ビデオ・ミュージック・アワード』がゲイロード・エンターテイメント・センター(現ブリヂストン・アリーナ)で行なわれた。司会はドリー・パートン。[19]
2003年2003年4月7日、『2003年 CMTフレイムワーシー・ビデオ・ミュージック・アワード』がゲイロード・エンターテイメント・センター(現ブリヂストン・アリーナ)で行なわれた。司会はトビー・キースとパメラ・アンダーソン。[20]
2002年2002年6月12日、『2002年 CMTフレイムワーシー・ビデオ・ミュージック・アワード』がゲイロード・エンターテイメント・センター(現ブリヂストン・アリーナ)で行なわれた。司会はキャシー・ナジミー。[21]
脚注
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