2010年福岡市長選挙2010年福岡市長選挙(2010ねんふくおかしちょうせんきょ)は、2010年11月14日に執行された福岡県福岡市の市長選挙。 概要吉田宏市長が2010年12月6日に任期満了を迎えることにより実施された選挙。2010年10月31日告示、同年11月14日に投票・開票が実施された。 福岡市長選としては戦後最多の8名(現職と新人7名)が立候補した[1]。自由民主党・公明党の支援を受けた無所属新人で元KBC九州朝日放送アナウンサーの高島宗一郎が、民主党・国民新党の推薦と社会民主党の支持を受けた現職の吉田に約65,000票の大差をつけて当選した。 高島は2010年12月7日に第35代(公選第18代)福岡市長に就任した。 立候補者立候補届出順[2]。
植木とみ子の撤退立候補者告示後の11月9日、候補者の一人であった植木とみ子が選挙戦から撤退することを表明した。世論調査で劣勢が報道され、このまま続けていても勝てないと判断し、吉田を打倒するための次善の策として保守系候補を一本化し、保守票が割れないようにすることを理由としている [10] [11] [12] [13]。 この撤退表明で植木は演説などの選挙運動を中止したが、現行の公職選挙法では告示後の立候補辞退を認めていないため、立候補は取り下げられなかった。このため撤退表明の前後を問わず植木に対する投票は有効票として扱われた[14]。 開票結果※当日有権者数:1,127,359人 最終投票率:43.67%(前回比:+1.10pts)
選挙の論点築30年を経過し老朽化が進行しているこども病院を人工島(アイランドシティ)に新築移転する計画の是非、2010年現在約7割が完成している人工島自体の事業継続の是非、政令指定都市としては大阪市に次ぐ高額の2兆5,000億円に及ぶ市債残高を抱える状況下での財政再建問題、地域経済の再生などが問われた。 西日本新聞が市内有権者200人に対して行ったアンケート調査では福岡市政で最も力を入れてほしい政策(1人2つまで回答可)として「福祉・医療」「景気対策」「財政再建」などが上位に挙がった[15]。 こども病院の移転
財政再建問題
人工島の事業継続選挙戦民主党が国政与党となってから鳩山由紀夫元首相・小沢一郎元民主党代表の政治資金問題や、尖閣諸島での中国漁船衝突事件に対する菅直人内閣の対応などについて、民主党に批判が集まっており、また告示直前の10月24日に投票・開票が行われた衆議院北海道第5区で自民党候補が当選したことなどを受け、自民党では高島を正式に推薦していないにもかかわらず谷垣禎一総裁をはじめとする現職国会議員による政権批判と高島の応援演説を重ねた。対する民主党側でも岡田克也幹事長をはじめ現職国会議員・党幹部による吉田の応援演説を多く実施し、国政における与野党の政争が強く反映される選挙戦となった[22] [23]。 高島は「アサデス。」などのKBCの番組に出演していたことによる知名度に加え、36歳の若さ[24]と行政経験のないことを前面に出し「発信力」「アジアナンバーワン都市」など単純な言葉を多用して演説を行ったことで、清新さ、しがらみのなさを印象付け、自民・公明党支持者だけでなく無党派層をも多く取り込んでの当選につながった。また、撤退を表明した植木に対する票の一部が高島に流れたとの見方もある [25] [26]。 吉田は在任中に市債残高を約1,200億円縮減するなどの実績を残したものの、こども病院の人工島への移転事業について「見直し」を公約に掲げながら実際には推進し、その経緯が不透明であった点が批判を受け、加えて先述のような民主党政権下での国政に対する不信、また選挙期間中に発生した尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件などの影響を強く受けての落選となった。人工島のある東区では高島を約2,700票上回ったが、他の区の票数はすべて高島を下回った[25][27][28]。 木下は農林水産省勤務、佐賀市長、行政刷新会議の事業仕分け人の経歴を基にした実行力を宣伝したが、活動不足・知名度不足が響き落選となった[28]。 脚注・出典
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