黒田宣政
生涯貞享2年(1685年)、福岡藩第4代藩主・黒田綱政の次男として、江戸桜田の藩邸にて生まれた。母は柳河藩主立花鑑虎の養女呂久姫。初名は政則(まさのり)。兄の吉之が早世したため嫡子となり、正徳元年(1711年)の父の死去により跡を継いだ。藩主就任時に将軍徳川家宣より偏諱を受けて宣政と名乗った。 しかし生来病弱で政務を執れず、また嗣子にも恵まれなかったため、叔父で支藩の直方藩主・黒田長清の次男で、従弟にあたる継高を養嗣子として迎え、享保4年(1719年)11月に隠居して家督を継高に譲った。病弱のため、領地筑前に入ることが中々できず、藩政は代理で叔父の長清が行っている。宣政時代の黒田家の文書類はほぼ焼失、散逸しており、従姉妹の市子(酒井河内守忠挙の娘、松壽院)との交換書状が唯一残る。 延享元年(1744年)、江戸桜田藩邸にて死去した。享年60。 系譜脚注 |