鹿児島開発事業団
鹿児島開発事業団(かごしまかいはつじぎょうだん)は、かつて鹿児島県に存在していた地方開発事業団(特別地方公共団体)である[1]。 1965年(昭和40年)5月22日に鹿児島県・鹿児島市・谷山市の出資によって設立され[2]、宅地開発事業、公有水面埋立事業、公共用地(取得)造成事業、流通業務団地造成事業、臨海工業用地埋立事業、万之瀬川導水事業を行っていた[3]。1993年(平成5年)3月31日を以て解散した[4][5]。 概要1965年(昭和40年)5月22日に鹿児島県・鹿児島市・谷山市の出資により設立された[2]。地方自治法第298条(2011年に条文廃止)の規定による地方開発事業団であり、特別地方公共団体であった[1]。 設立時の事業は、吉野地区一帯、冷水峠周辺の山間部、鹿児島市と谷山市との境界一帯の開発が予定されており、4,200戸の宅地を造成することとしていた[1]。1966年(昭和41年)までに鹿児島北部地区において約67,000坪の宅地造成、与次郎ヶ浜埋立事業、長田町・冷水町・草牟田町・玉里町の背後地の宅地造成について鹿児島市から委託された[6]。 住宅団地の造成のほかにも、鹿児島市などを中心に工業用地の造成、万之瀬川導水などの開発を行った[4]。1993年(平成5年)3月31日を以て解散した[4][5]。 歴史
組織1989年(平成元年)7月1日現在の組織は以下のとおりであった[16]。
歴代理事長鹿児島開発事業団の歴代の理事長は下記のとおりである[17]。歴代理事長は全員鹿児島市長との兼任である。
実施事業鹿児島開発事業団は、宅地開発事業、公有水面埋立事業、公共用地(取得)造成事業、流通業務団地造成事業、臨海工業用地埋立事業、万之瀬川導水事業を行っていた。 宅地開発事業
公有水面埋立事業公有水面の埋め立てについては、与次郎ヶ浜埋立については城山団地の造成の際に排出された土砂を、祇園之洲埋立については催馬楽団地の造成の際に排出された土砂を海水で押し流してパイプラインにより運搬したもの埋立に際して使用する「水搬工法」が用いられた[26][27][28]。
臨海工業用地埋立事業
流通業務団地造成事業公共用地(取得)造成事業
導水事業脚注
参考文献
関連項目 |
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