鳥獣尊鳥獣尊(ちょうじゅうそん)、あるいは鳥獣形尊(ちょうじゅうけいそん)とは、中国古代文物の一類別で、形状が鳥獣に似た盛酒器の通称である。最も早く“鳥獣尊”を定義したのは、1941年、容庚が著した『商周彝器通考』(しょうしゅう いき つうこう)であり、この本は“鳥獣尊”の単一の分類を立てて、「鳥獣形における尊彝(そんい)を総称して尊(そん)とし」た。けれども、“鳥獣尊”と最初に名前を定めたのは青銅器を区分するためだったが、形式の類似した陶器も“鳥獣尊”と呼ばれた。 定義最も早く“鳥獣尊”を定義したのは、1941年、容庚が著した『商周彝器通考』であり、この本は“鳥獣尊”単一の分類を立てて、「鳥獣形における尊彝(そんい)を総称して尊(そん)とし」た[1]。“鳥獣尊”の“尊”は、専ら青銅器の名称“尊”の意味範囲あるいは青銅器の銘文中の“尊”の意味範囲とは全く異なる。専ら“尊”の名称は、侈口(大口)で腹部が太く鼓張し、丸い高足、形体がややふっくらとした類の青銅器を指し、それはまた「觚觶(こし)に似て巨(おおい)なる者」[1]であり、銘文中の“尊”は、酒食器などの礼器の総称で、それはまた王国維が『説彝』の中で掲げた“大共名(広く共通する名前)”[2]で、鳥獣尊の“尊”は盛酒器の通称であり、それも王国維が称する所の“小共名(やや狭い範囲で共通する名前)”[2]である。[3]:176-191 『周礼』「春官 司尊彝」中には、「六尊六彝を掌(つかさど)る位」の記載があり、「六尊六彝(りくそん りくい)」の中に鳥獣の名を冠しているものに、鶏彝・鳥彝・虎彝・蜼(い)彝・象尊があり、この外、『周礼』を注釈した鄭衆らの人々はさらに六尊中の“献尊”を“犠尊”だと見なしている。これらの器名に対して、漢代以来学者の説は一定せず、主要なものに尊の上の画像・工芸装飾・本体の形による3通りがある。商周青銅器の命名で、鳥獣形の礼器を尊の類に帰するのは宋朝に始まり、『博古図録』は外形が牛・象・鳧[注釈 1]をした酒器を分類して、犠尊・象尊・鳧(ふ)尊と名を定めた。これは最も早く後の鳥獣尊の定義と符合する命名であり、宋以後、金石学者は多く『博古図録』に従った。1941年、容庚が『商周彝器通考』を刊行した後、学界は多く鳥獣形の盛酒器を鳥獣尊と総称するが、少し異議もある[注釈 2]。[3]:176-191 命名杜廼松は『論青銅鳥獣尊』の中で、各鳥獣尊ごとに命名する時、その摸した動物に基づき、牛尊・羊尊・象尊・鳥尊などのようにその具体的名称を呼ぶべきであり、わずかに鳥獣形態を具えているとしても、それが何の動物であるか確実に分からない時は、慣習的呼び名を援用して、それを“犠尊”と称することができる、と指摘している。[6] 銘文を帯びた鳥獣尊は、一般に青銅器の通称“尊彝”の2字を使用して、守宮鳥尊・盠駒尊・鄭仲犠尊などのように自然に呼ばれる。1974年陝西省宝鶏市茹家荘[注釈 3]2号墓出土の井姫盂鏙(せいきうさい)は自然に“盂鏙(うさい)”と呼ばれ[注釈 4]、杜廼松はこれをほとんど見られない名称あるいは地区の別称に属すると見なしている[6]。2000年山西省曲沃県北趙村晋侯墓地113号墓出土の晋侯猪尊はすぐに自然と“飤(し)”[注釈 5]と名づけられ、またほとんど見られない名称に属する。[7] 分類鳥獣尊が摸した動物の種類に基づいて、『中国青銅器総論』は、ありふれている鳥獣尊を主に、鴟鴞(しきょう)尊・禽(きん)尊・虎尊・象尊・犀尊・牛尊・羊尊・馬尊・兎尊・神獣尊などに分けることができるとしている。[3]:182『論青銅鳥獣尊』は、それを分けて、鳥尊・鴞(きょう)尊・鴛鴦尊・鴨尊・牛尊・羊尊・猪尊・馬駒尊・象尊・虎尊・鳥首獣尊・兎尊などとしている。[6]
ギャラリー
注釈参考
外部リンク
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