高木新平
高木 新平(たかぎ しんぺい、1902年11月3日 - 1967年4月21日[1])は、日本の俳優、映画監督、映画プロデューサー。初期には片岡 慶左衛門(かたおか けいざえもん)、片岡 慶三郎(かたおか けいさぶろう)と名乗った。本名は慶吉(-けいきち)[1]。身のこなしの軽さから「鳥人」として知られる[1][2]。 来歴・人物1902年(明治35年)11月3日、長野県下諏訪町に「高木慶吉」として生まれる[1][3]。神田英語学校卒業。 1920年(大正9年)、マキノ俳優養成所に入り、牧野省三に師事した[3]。1923年(大正12年)6月、片岡 慶左衛門、片岡 慶三郎の名で映画に出演し始める[4]。1925年(大正14年)の東亜キネマからの牧野の分離独立後も、東亜キネマに残留する[3][5]。同年、女優の生野初子と結婚する[6][7]。 1927年(昭和2年)に独立[1]、吉田山麓に高木新平プロダクションを設立、監督業も行うが[5]、翌1928年(昭和3年)、マキノ・プロダクションに改めて入社する[3][5]。牧野の没後、1930年(昭和5年)に帝国キネマ演芸に移籍[5]、1933年(昭和8年)には宝塚キネマ[5]、1935年(昭和10年)にはエトナ映画社に移籍する[5]が、同年以降、第二次世界大戦終結まで出演の記録がない[5]。同年、妻の生野初子と離婚した[7]。 戦時中は近衛連隊に所属。 戦後、1949年(昭和24年)に東横映画に出演して復活する[5]が、1950年(昭和25年)でまた途絶える[5]。1954年(昭和29年)、東宝の黒澤明監督の『七人の侍』、1957年(昭和32年)、おなじく『蜘蛛巣城』に出演する[5]。新東宝の映画に出演したあと、1961年(昭和36年)、ふたたび黒澤明監督の『用心棒』に出演している[5]。 1958年(昭和33年)のテレビ番組『月光仮面』では、怪獣「マンモスコング」のぬいぐるみを制作、自らこれを着けてマンモスコングを演じている[8]。 1966年(昭和41年)、NHK大河ドラマ『源義経』に出演した後、1967年(昭和42年)4月21日、病気により死去した[1]。64歳だった。 おもなフィルモグラフィ
脚注
外部リンク |
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