骨まで愛して
「骨まで愛して」(ほねまであいして)は、1966年(昭和41年)1月に城卓矢がリリースした、同名義での初めてのシングル、ならびに同シングルのA面楽曲のタイトル、および同楽曲を原作・主題歌とした同年7月9日公開の斎藤武市監督による日本の映画である[1][2]。オリジナル7インチシングル盤規格品番:TP-1197。 略歴
概要1958年(昭和33年)、東京・有楽町の日本劇場で開かれた第1回『日劇ウエスタンカーニバル』にウエスタン・キャラバンのメンバーとして参加、1960年(昭和35年)にテイチク・レコード(現:テイチクエンタテインメント)から「ひとりぼっちで」でデビュー、B面曲「スタコイ東京」で注目を浴びた菊地正夫は、1963年(昭和38年)に東芝レコード(東芝音工→東芝EMI→EMIミュージック・ジャパン[注 1])に移籍、「アホカイ節」等をリリースしていた。1966年(昭和41年)1月、心機一転して『城卓矢』と改名、本作は、親戚にあたる川内康範がプロデューサーとなり、作詩[注 2]は川内の妻『川内和子』名義で川内が書き、兄の北原じゅんが『文れいじ』名義で曲を書いた、再デビュー曲である。 本楽曲は1966年2月4日に起きた全日空羽田沖墜落事故にて、事故現場へ駆け付けた川内康範が現場にて目撃し体験した出来事に基づいて制作されたという経緯がある[4]。 川内は更に本楽曲を原作に脚本を書き、日活が渡哲也主演で映画化、本楽曲は同作の主題歌となり、城卓矢も本人役で同作に出演している[1][2]。同作は同年7月9日に公開された[1][2]。 →詳細は「§ 映画」を参照
城卓矢は、本楽曲のヒットをもって同年12月31日、東京・日比谷の東京宝塚劇場で行なわれた『第17回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしている。 レコード録音版の調は変ニ長調(嬰ハ長調)であるが、歌番組などではニ長調で披露することも多かった。 1984年頃に放送された東芝家具調こたつのCMで榊原郁恵が本楽曲の替え歌を唄った。また、1985年放送のグリコスナック『とと吉』のCMでも唄われている。 1989年(平成元年)5月9日、城卓矢・急逝。同年6月7日に東芝EMIが発売したベスト盤CD『城卓矢 全曲集』に収録された。 JASRACデータベースでは、作詞:川内康範/作曲:北原じゅん/出版者:クラウンミュージック、と登録されている[5]。 収録曲全作詩:川内和子(川内康範)/作曲・編曲:文れいじ(北原じゅん)
カバー1974年(昭和49年)、藤圭子の全曲 川内康範 作品により構成されたアルバム『夜とあなたが』(JRS-7321)に収録されている。 続いて1975年(昭和50年)、キングレコードから発売された原みつるとシャネル・ファイブのライヴアルバム『シャネル・ファイブ・イン・サッポロ』で、同バンドの梅村良一の編曲により原みつる(後の平田満)の歌唱でカバーされている。同アルバムのジャケットには「作詞:川内和子、作曲:文れいじ」ではなく「作詞:川内康範、作曲:北原じゅん」と記載されている[6]。 また同曲は、2003年(平成15年)、舟木一夫のプロデュース、桜庭伸幸の編曲により竜小太郎の歌唱で「HO-NEまで愛して」のタイトルでカバーされている。 その他アジアでも、香港の方逸華による北京語カバー「愛你入骨」、台湾の姚蘇蓉による北京語カバー「恨你入骨」、郭金發による閩南語カバー「愛你入骨」などがヒットしている。マレーシアの鄭錦昌による広東語カバー「怨情」もある。 ディスコグラフィ
映画
『骨まで愛して』(ほねまであいして)は、1966年(昭和41年)製作・公開された斎藤武市監督による日本映画である[1][2]。本作に本人役で出演している城卓矢の同名のヒット曲を原作に、同曲の作詩をした川内康範が脚本を執筆、渡哲也、松原智恵子、浅丘ルリ子らが主演した[1][2]。 スタッフ・作品データ
キャスト
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク |
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