馮瀟霆
馮 瀟霆(漢音読み:ふう しょうてい、ひょう しょうてい、簡体字:冯潇霆、繁体字:馮瀟霆、拼音:Féng Xiāotíng、Feng Xiaoting、1985年10月22日 - )は、中華人民共和国・遼寧省大連市出身の元サッカー選手。元中国代表。現役時代のポジションはディフェンダー。 経歴クラブ2003年、17歳にして四川冠城でレギュラーに定着。何度かキャプテンまで務めた。 2003年12月、フランスのFCナントでトライアルに参加したが、加入には至らなかった。 2年目の2004年はケガもありあまり活躍できなかった。 2005年から当時の中国最強チーム・大連実徳でプレイ。 2008年にセリエA・ACシエナへの加入が噂された、シエナのスポーツディレクターである Manuel Gerolin が北京五輪でのパフォーマンスで目を付けたが、諸問題で実現しなかった。2008年末で大連との契約は満了だったため、韓国Kリーグの全南ドラゴンズ、済州ユナイテッド、大邱FCなどが獲得に動いた。最終的には大邱FCと2年契約を結び、2009年3月22日の浦項戦(2-2)でデビュー。 なお中国ではボスマン判決ルールが徹底されておらず、初めての契約満了からの国外移籍で移籍時は騒動になった。 2010年1月29日に、リーグ王者の全北現代に加入したが、ポジションを確保できず同年限りで退団した。 2011年は欧州クラブへの移籍も噂されたが、中国復帰を決意し広州恒大に加入。移籍金は200万ドルとされる。同年はシーズン通して23失点の堅守に貢献。昇格1年目での優勝を果たすと、その後広州恒大での黄金期に貢献した。 2020年に上海申花へレンタル移籍。2023年から東莞莞聯へ加入。 代表2003年にアリー・ハーン監督により17歳にして中国代表に選ばれる。2004年のミャンマー戦で代表デビュー。その後の朱広滬監督の元では若すぎることもあり、主に五輪代表年代でのプレーとなった。 2005年、FIFAワールドユース選手権(現:FIFA U-20ワールドカップ)に出場。FIFAが選ぶ14名の「U-20 ニュースター」にアジア圏で唯一選出される。 2008年、北京オリンピックに中国代表として出場。李偉鋒と主力CBを務めた。 大会後A代表に定着し、ウラジミール・ペトロビッチ監督の元で南アフリカワールドカップ予選に出場。しかしケガが多く、アジアカップは2011、2015ともに負傷で逃した。 2018年、パレスチナ戦(1-1)で代表70試合目にして初得点。[1] AFCアジアカップ2019にも主力CBとして出場したが、準々決勝イラン戦で致命的なミスから失点を招き、以降代表召集されていない。 代表歴出場大会
試合数国際Aマッチ 76試合 1得点(2004年-2019年)
ゴール
タイトルクラブ
代表個人脚注
関連項目外部リンク
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