須山計一須山 計一(すやま けいいち、男性、1905年7月17日 - 1975年4月17日)は、漫画家、洋画家、美術評論家、漫画評論家、社会運動家。昭和初期のプロレタリア美術運動に参加。生前、日本における漫画評論の第一人者として知られた。生前は一水会、草炎会および日本美術会会員。別名義は宇野圭。 明治38年(1905年)、長野県下伊那郡鼎村(鼎町を経て、現・飯田市)に生まれる。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、昭和5年(1930年)、東京美術学校西洋画科卒業。『文章倶楽部』(新潮社)、『戦旗』(戦旗社)などに漫画を執筆。『無産者新聞』に漫画「アジ太プロ吉」を連載。 昭和6年、日本プロレタリア美術家同盟の中央委員および書記長に就任。昭和8年、治安維持法違反で検挙・起訴され、懲役3年執行猶予5年の判決を受ける。 昭和16年から一水会に油絵を出品。21年に会員となる。 石井柏亭と親交があり、戦時中は信越国境の野尻湖畔にある石井の別荘に疎開していた。 昭和50年(1975年)4月17日午後1時58分、脳出血のため東京都世田谷区奥沢の大脇病院で死去。 著書
外部リンク |