青木政尚

青木 政尚(あおき まさひさ、1895年明治28年)1月28日[1] - 1987年昭和62年)3月10日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将功四級[2]

経歴

東京府出身[1][2]1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校第27期卒業[3]

1940年(昭和15年)8月、陸軍歩兵大佐に進み、留守近衛師団司令部附を経て、1941年(昭和16年)11月、歩兵第140連隊長に補され[2]支那事変に出動し石門に駐屯[4]。その後、師団の改編により第71師団隷下となり琿春に駐屯した[4]1945年(昭和20年)1月には第10方面軍に転用され、台南に展開したのち、同年4月、同方面軍隷下の独立混成第112旅団長に転補され、宜蘭での守備に就いた[4]。同年6月、陸軍少将に進級し、間もなく終戦を迎えた[1][2]

1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]

墓所は多磨霊園

脚注

  1. ^ a b c d 福川 2001, 14頁.
  2. ^ a b c d 外山 1981, 383頁.
  3. ^ 外山 1981, 369頁.
  4. ^ a b c 福川 2001, 15頁.
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」211頁。

参考文献

  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 

 

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