雷(いかづち)は、大日本帝国海軍の駆逐艦 。
艦名は「カミナリ」または「ナルカミ」の意味 。
同名艦に吹雪型駆逐艦(「特III型、暁型」)の「雷」がある為、こちらは「雷 (初代)」や「雷I」などと表記される。
艦歴
建造
1897年(明治30年)1月16日にイギリスのヤーロー社と第1回目の駆逐艦建造契約を締結、「雷」はそのうちの1隻になる[2][9]。
同年9月に起工[10]、
1898年(明治31年)3月16日建造中の「第一號水雷艇驅逐艇」を「雷(イカヅチ)」と命名[22]、
3月21日に軍艦及水雷艇類別等級が定められ、「雷」は水雷艇駆逐艇に定められた[3]。
11月15日進水[11]、
1899年(明治32年)2月23日竣工[2]、
引き渡された[12]。
日本回航
当初、分解した上で日本まで輸送も検討されたが、完成させて自力で回航になった。
3月8日[23]
グレブセンドをポーツマスに向けて出発[24]、
ジブラルタル[25]、
マルタ[26]、
ポートサイド[27]、
アデン[28]、
コロンボ[29]、
香港[30]などを経て、
5月25日佐世保に到着[23][31]、
6月3日横須賀に回航された[32]。
日露戦争
1904年(明治37年)に日露戦争が勃発した際には第1艦隊第2駆逐隊に所属していた。同年2月8日の旅順港奇襲攻撃にも参加しており、十数日後の2月24日には旅順港閉塞作戦に、5月27日には日本海海戦にも参加している。
日露戦争後
1905年(明治38年)12月12日、内令第751号で駆逐隊編制が定められ(これ以前は各鎮守府が駆逐隊を定めていた[33])、
「雷」「電」「曙」「朧」の4隻で「第四駆逐隊」(大湊要港部所属)を編制した[34]。
「雷」は以降最後まで「第四駆逐隊」所属だった[35]。
1912(大正元年)8月28日、三等駆逐艦に類別[5]。
喪失
1913年(大正2年)10月9日、戦闘訓練予行運転のために大湊港を出港しようと午前9時に浮標から舫いを解いて回頭中、9時2分頃に[36]
3番ボイラーが爆発、3番ボイラーは甲板上に噴き上がり、右舷艦底に破口(約4平方メートル[37])が空いた[38]。
死亡1名、重傷4名、軽傷12名、行方不明1名[39]
(行方不明者は14日午後4時に後罐室で遺体を発見、収容された[40])。
兵器を揚陸[41]、
負傷者の搬送を始め[37]、
浮船渠に入渠させようと曳航中に船体中央部が折れ曲がった[38](3番煙突と4番煙突の間で約10度の角度で逆「く」の字になる[42][43])。
浮船渠の舷側に横付けしたまま移動し[39]、
船体を浅瀬に擱座させた[44]。
その後も浸水と海底が軟泥の為に徐々に船体が沈降[39]、
乗員は陸上に収容した[41]。
船体引き上げに約16,100円、復旧修理に約45,200円かかると推算され、売却処分が適当と判断された[45]。
11月5日除籍[6]、
艦艇類別等級表からも削除された[46]。
11月11日には強風が吹き荒れ、午後4時頃に船体の後部が全て水没した[47]。
12月1日、「雷」は第四駆逐隊から除かれた[48]。
1914年(大正3年)4月29日に沈没した船体は附属品と共に10,660円で売却、同年9月5日に引き渡された[13]。
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 回航委員長
- 矢島純吉 少佐:1898年10月19日 - 10月28日
- 石田一郎 少佐:1898年10月28日 -
- 艦長
- 笠間直 少佐:1901年6月22日 - 8月30日
- 広瀬順太郎 少佐:1901年8月30日 - 1903年7月7日
- 三村錦三郎 大尉:1903年7月7日 - 1904年9月11日
- 斎藤半六 少佐:1904年9月11日 - 1905年12月12日
- 駆逐艦長
- 大谷幸四郎 大尉:1905年12月12日 - 1906年1月25日
- (兼)富永寅次郎 大尉:1906年1月25日 - 7月3日
- 和田博愛 大尉:1906年7月3日 - 9月28日
- (兼)井上猪之吉 大尉:1906年9月28日 - 1907年1月12日
- 大内田盛繁 少佐:1907年1月12日 - 7月1日
- (兼)富永寅次郎 大尉:1907年7月1日 - 11月22日
- (兼)山根米吉 少佐:1907年11月22日 - 12月18日
- 人見三良 大尉:1907年12月18日 - 1908年4月20日
- 岩室哲次郎 大尉:1908年4月20日 - 7月11日
- (兼)井上鉄治 大尉:1908年7月11日 - 9月25日
- 小泉親治 大尉:1908年9月25日 - 11月20日
- 田中漸 大尉:1908年11月20日 - 1909年2月25日
- 井戸玖吾 大尉:1909年2月25日 - 12月1日
- 柴田菊枝 大尉:1909年12月1日 - 1910年4月1日
- 岡本郁男 大尉:1910年4月1日 - 1911年6月28日
- 朝田外次郎 大尉:1911年6月28日 - 1912年5月22日
- 中川文一 大尉:1912年5月22日 - 1913年5月24日
- 下川包蔵 大尉:1913年5月24日 -
脚注
参考文献
- 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『公文備考別輯 新艦製造書類 雷 電 東雲 叢雲 曙 漣 夕霧 不知火 陽炎 薄雲 朧 霓 1 明治29~32/水雷艇駆逐艇雷、電、東雲、叢雲、曙、漣、夕霧、不知火、陽炎、薄雲、朧、霓製造に関する件(1)』。Ref.C11081491600。
- 『公文備考別輯 新艦製造書類 雷 電 東雲 叢雲 曙 漣 夕霧 不知火 陽炎 薄雲 朧 霓 2 明治29~32/水雷艇駆逐艇雷本邦へ回航に関する件(1)』。Ref.C11081493300。
- 『公文備考別輯 新艦製造書類 雷 電 東雲 叢雲 曙 漣 夕霧 不知火 陽炎 薄雲 朧 霓 2 明治29~32/水雷艇駆逐艇雷本邦へ回航に関する件(2)』。Ref.C11081493400。
- 『大正2年 公文備考 艦船7 遭難災害3 巻26/水雷艇の部 1 雷沈没一件(1)』。Ref.C08020266600。
- 『大正2年 公文備考 艦船7 遭難災害3 巻26/水雷艇の部 1 雷沈没一件(3)』。Ref.C08020266800。
- 『大正3年 公文備考 艦船4 巻18/売却(2)』。Ref.C08020406200。
- 『大正2年 達 完/11月』。Ref.C12070066700。
- 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(4)』。Ref.C14010006200。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻四の1』 明治百年史叢書 第175巻、原書房、1971年11月(原著1939年)。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 造船協会/編『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。
- 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 『官報』