阿部巧
阿部 巧(あべ たくみ、1991年5月26日 - )は、東京都大田区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(左サイドバック)、ミッドフィールダー(左ウイングバック)。 来歴大田区立矢口東小学校1年生(6歳)の時にサッカーを始める[1][2]。同6年次に東京U-12に選出される。その後、FC東京と横浜FMのU-15チームのセレクションを受けたのち、FC東京U-15深川への入団を決める[4]。2007年にFC東京U-18に昇格。それまではFWやトップ下など攻撃的な位置でプレーしていたが、U-18昇格後は倉又寿雄監督により左サイドバック(SB)へとコンバートされた。U-18での1年目からトップのサテライトリーグに抜擢され出場し、その試合後にトップチーム監督(当時)の原博実が「今日はユースの子(阿部)が一番良かったね」と述べるなど[5]、そのプレー振りが高く評価された。2009年秋、U-18の同期である重松健太郎、平出涼とともに翌年からのFC東京トップチーム昇格が発表された[3]。 2010年5月22日のナビスコカップ第3節新潟戦で初のベンチ入りをするも、出場機会を得ることはできず、同年7月より横浜FCへ期限付き移籍。横浜では左SBのレギュラーに定着した。岸野靖之監督からは長所として積極性と運動量、短所としてヘディングの競り方を挙げられた[6]。期限付き移籍期間満了のため、同年限りで横浜FCを退団した[7]。 2011年はFC東京へ復帰。シーズン序盤は左足からのクロスを武器に[8] 左SBのレギュラーとして奮闘したが、平山相太・高松大樹といった長身FWの離脱による戦術変更[9] を機に控えに追いやられた[10]。 2012年、再び横浜FCへ期限付き移籍。長距離を走り抜く力を高く評価され[11]、リーグ戦での出場時間はチーム内で最長を記録した[12]。 2013年、FC東京に復帰[13]。太田宏介らとのポジション争いに臨むも[14] 公式戦の出場はなく、同年8月より複数受けたオファーの中から[15]松本山雅FCへ完全移籍[16][17]。3バックを採用する松本では[15] 左ウイングバック(WB)として出場を続け、運動量と攻撃力でサイドを活性化させた[18]。 2014年、アビスパ福岡へ完全移籍[19][20]。同年入籍[21]。チーム屈指の体力で[22] 4バック時には左SB、3バック時には左WBとしてサイドでの上下動を続けた[23]。 2017年、ザスパクサツ群馬へ完全移籍[24]。2018年シーズン終了後、契約満了により退団[25]。 2020年、栃木シティFCへ完全移籍[27]。同年シーズン、関東サッカーリーグ1部ベストイレブンに選出される活躍を見せた[28]。 2022年11月22日、現役引退を発表[29]。 2022年12月16日、栃木シティFCのトップチーム強化担当およびU-25コーチ就任が発表された[30]。 人物ザスパクサツ群馬へ移籍後、クラブ発行のマッチデープログラム内インタビューで、ブラックコーヒーが飲めるようになったことと、タイピングの練習を始めたことを告白している。 所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
タイトル
代表・選抜歴
脚注
関連項目外部リンク
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