関東ムービー配給社
株式会社関東ムービー配給社(かんとうムービーはいきゅうしゃ)は、かつて存在した日本の映画会社である[1][2][3][4][5]。旧社名株式会社ムービー配給社(ムービーはいきゅうしゃ)[6]。 かつて存在したアニメ制作会社「東京ムービー新社」(現:トムス・エンタテインメント)とは何の関係も無い。 略歴・概要新東宝の最末期に中部支社長だった群馬県出身の桑原正衛(1915年生)が、同社倒産後に中部新東宝興業代表を経て、1965年(昭和40年)5月26日に創業した[1][2][7]。創業に先行して、同年1月、日本シネマが製作、松井康子主演、若松孝二監督『離婚屋開業中』を配給して公開した記録がある[3]。以降、翌1966年(昭和41年)末までは、轍プロダクション、若松孝二の若松プロダクション、山辺信雄のヤマベプロダクション、本木荘二郎のシネユニモンド等の製作物を配給していたが、向井寛の日本芸術映画協会、新藤孝衛の青年芸術映画協会等に1969年(昭和44年)までの間に固定化する[4]。このころまでの社名は「株式会社ムービー配給社」であった。白黒・カラーのフィルムを混成して編集したものである「パートカラー」を、同社は「セクシーカラー」と名付けてポスター等に表示していた。 1970年(昭和45年)以降、自社製作・自社配給の体制になり、監督も沢賢介、新藤孝衛、関孝二に固定化し始める[3][4]。 1974年(昭和49年)12月25日に公開された、小島麻理主演、沢賢介監督の『(秘)香港セックス基地』以降は、配給については大蔵映画が行い、同社は製作業務に専念する[3][4]。1976年(昭和51年)の製作本数は7本にとどまり[8]、1977年(昭和52年)5月に公開された東祐里子主演、沢賢介監督の『FLESH MARKETS 国際肉体市場』以降は、配給元がミリオンフィルムに切り替わっている[4]。同年から翌1979年(昭和54年)にかけて、年間2本を製作してミリオンフィルムに提供していたが、1980年(昭和55年)5月20日に公開された高原リカ主演、平川弘喜監督の『少女早熟』以降、映画の製作あるいは配給を行った記録がない[3][4]。 その後の同社の活動は不明であるが、『映画年鑑』には会社情報や巻末広告が1990年代半ばまで掲載されている。1991年(平成3年)には、桑原正樹がすでに社長になっており、監査役も藤井一郎から渡辺省三に変更している記録があり[9]、1994年(平成6年)には記載されているが[10]、1990年代後半の『映画年鑑』には社名も社長や取締役の人名も掲載されていない[11]。 Screen international film and TV year book 1992 には、Kanto Movie Distributors, 代表は Masaki Kuwahara(桑原正樹)として掲載されている[12]。2015年(平成27年)現在、かつて同社が所在した新岩間ビルは現存している[13]。同年7月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターは、同社の製作・配給した作品を所蔵していない[14]。 企業データ
フィルモグラフィ文化庁「日本映画情報システム」、および日本映画データベース、インターネット・ムービー・データベースに掲載されている同社製作・配給作品の一覧である[3][4][5]。特筆以外はすべて「製作・配給」である。
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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