日本シネマ株式会社(にほんシネマ)は、かつて存在した日本の映画会社である[1]。旧社名日本シネマフィルム株式会社(にほんシネマフィルム)[2][3]。
沿革
[4]。
略歴・概要
記録の上で最初にみられる作品は、1963年(昭和38年)6月18日に「日本シネマフィルム」が配給して公開した本木荘二郎監督の『女のはらわた』(製作巾プロダクション)である[2][3][5]。同作の「企画」として鷲尾飛天丸がクレジットされている[6]。本木は前年1962年(昭和37年)11月に公開された初監督作『肉体自由貿易』(製作国新映画)をヒットさせており、同作は4作目にあたるが[7]、邦画五社の1/10の予算で製作した『肉体自由貿易』を配給してヒットさせたのが、「日本シネマ」であるとする資料もある[8]。
初年度においては、富士映画出身の小林悟[9]、同年に監督デビューしたばかりの若松孝二を監督に起用している[10]。1965年(昭和40年)には、同年に監督デビューしたばかりの山本晋也、翌年には前年に監督デビューしたばかりの向井寛をそれぞれ監督に起用している[11][12]。『映画年鑑 1978』によれば、1966年(昭和41年)7月に「日本シネマ株式会社」が設立されている[1]。同年には、松竹京都撮影所で40作を監督した福田晴一[13]、同じく18作を監督した倉橋良介[14]、1968年(昭和43年)には、ワールド映画出身の奥脇敏夫を監督に起用している[15]。
1975年(昭和50年)から1979年(昭和54年)にかけては、製作本数が激減している[2][3]。初期に「製作」の鷲尾とならんで「企画」にクレジットされていた千葉実は、1978年(昭和53年)の時点では、ニューセレクトの常務取締役になっていた[16]。
1980年(昭和55年)以降は、稲尾実、梅沢薫らの監督作を多く製作し、1982年(昭和57年)には、向井寛や山本晋也の助監督を務めていた獅子プロダクション出身の新人滝田洋二郎を監督に起用している[3][17]。
1985年(昭和60年)以降は、渡辺元嗣、深町章らの新人を起用、1960年代から俳優として活動し東活で監督デビューした新田栄の監督作を多く製作し、1987年(昭和62年)12月に新東宝映画が配給して公開された、新田栄監督の『ザ・ペッティング4 舌戯』以降、映画作品は発表されておらず、活動は停止したものとされる[3][18]。
東京国立近代美術館フィルムセンターは、2012年(平成24年)6月現在、同社の製作・配給された200本近くの作品のうち、若松孝二監督の『逆情』(1964年)をはじめ、約60作の上映用プリントを所蔵している[19]。
フィルモグラフィ
文化庁「日本映画情報システム」、および日本映画データベースに掲載されている同社製作・配給作品の一覧である[2][3]。
- 1963年
- 1964年
- 1965年
- 1966年
- 1967年
- 『いたづら』 : 監督山本晋也、1967年1月13日公開
- 『避妊革命』 : 監督足立正生、製作若松プロダクション、配給日本シネマ、1967年2月21日公開
- 『女の責め』 : 監督山本晋也、1967年3月14日公開
- 『昼下りの逢びき』 : 監督向井寛、製作日本芸術協会、配給日本シネマ、1967年3月28日公開
- 『或る密通』 : 監督向井寛・山本晋也・若松孝二、1967年4月15日公開
- 『処女未練』 : 監督向井寛、製作日本芸術協会、配給日本シネマ、1967年5月公開
- 『続悪徳医 女医篇』 : 監督福田晴一、1967年5月23日公開
- 『女体蒸発』 : 監督福田晴一、1967年7月18日公開
- 『夜のただれ』 : 監督山本晋也、1967年9月2日公開
- 『性の放浪』 : 監督若松孝二、製作若松プロダクション、配給日本シネマ、1967年9月12日公開
- 『汚れ』 : 監督山本晋也、1967年9月19日公開
- 『売女(ばいた)』 : 監督関孝二、1967年10月17日公開
- 『リンチと縛り』 : 監督岸信太郎、製作ヤマベプロダクション、配給日本シネマ、1967年11月7日公開
- 『変態魔』 : 監督関孝二、1967年12月26日公開
- 『好色番外地』 : 監督関孝司(関孝二)、1967年公開(公開日不明)
- 1968年
- 1969年
- 1970年
- 1971年
- 1972年
年5月公開
- 1973年
- 1974年
- 1975年 - 1977年
- 1979年
以降、すべて製作のみ、配給はすべて新東宝映画である[3]。
- 『女教師(秘)教えてあげる』 : 監督梅沢薫、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1979年12月公開 - 改題『課外教室 教えてあげる』
- 1980年
- 『ある女教師 鎖と柔肌』 : 監督梅沢薫、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年11月公開
- 『痴漢通学電車』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年1月公開 - 改題『痴漢電車満員通学』
- 『痴漢おさわり電車』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年8月公開 - 改題『痴漢電車 おさわり集団』
- 『痴漢集団検診』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年7月公開
- 『女子学生(秘)床運動』 : 監督浜恵子[要曖昧さ回避]、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年10月公開
- 『痴漢電車 相互乗り入れ』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年12月公開
- 『指と舌ぜめ』 : 監督中山潔、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年4月公開
- 『痴漢豆さがし』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年3月公開
- 『痴漢民宿ざこ寝』 : 監督浜恵子、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年5月公開
- 『鞭で泣かす』 : 監督梅沢薫、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年9月公開
- 1981年
- 『痴漢電車 よい子悪い子普通の子』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1981年12月公開 - 改題『痴漢電車 そっとさわって』
- 『痴漢地下鉄 変態乗客』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1981年8月公開 - 改題『痴漢電車 ぐっと握って』
- 1982年
- 『痴漢電車 もっと続けて』 : 監督滝田洋二郎、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1982年4月公開 - 改題『痴漢電車いい気持ち』
- 『痴漢電車 もみもみ出勤』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1982年8月公開 - 改題『痴漢電車 指で快感』
- 『痴漢電車 満員豆さがし』 : 監督滝田洋二郎、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1982年7月公開 - 改題『痴漢電車 下から覗いて』
- 『若妻暴行変質魔』 : 監督梅沢薫、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1982年11月公開
- 『痴漢美容師 下もかけます』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1982年3月公開 - 改題『人妻濡れた下着』
- 1983年
- 1984年
- 『痴漢電車 あの手この手』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1984年5月公開 - 改題『痴漢電車 内までびっしょり』
- 1985年
- 1986年
- 1987年
脚注
参考文献
- 『キネマ旬報年鑑 1977』、黒甕社、1977年
- 『映画年鑑 1978』、時事映画通信社、1977年12月1日
- 『映画年鑑 1997』、時事映画通信社、1996年12月1日
関連項目
外部リンク