長谷本寺
長谷本寺(はせほんじ)は、奈良県大和高田市にある真言宗の豊山派、市内最古の寺院。山号を妙音山と称する。本尊は長谷寺型十一面観音菩薩(奈良県指定文化財)。 概要開山は710年(皇紀1370年)、南都(奈良)の高僧であった大満上人とされる。日本最古の官道横大路に面している。 藤原時代の等身の仏像、古い順に長谷寺型木造十一面観世音菩薩立像と木造兜跋毘沙門天立像(共に奈良県指定文化財)、木造伝薬師如来坐像が秀作であり、奈良県中南部、大和高田市に残る有数の古作として大変貴重な像群である。その他にも江戸時代にかけての仏像が数十躯祀られており、大和高田市で最も仏像の数、種類共に豊富である。近年は防犯のため鍵が閉められているので、予約してから拝観するのが望ましい。他府県などからも仏像拝観に訪れるが、基本的には地元の檀家信者寺であり、観光寺院ではないため、貴重な仏像が祀られていることも地元でもあまり知られていない隠れ古寺でもある。 歴史明治時代初期の廃仏毀釈運動により、寺領が失われただけでなく、多くの寺宝と共に古文書等が散逸してしまい、長谷本寺の正式な歴史を把握することが大変難しくなっている。ただ、1193年(皇紀1853年)頃の礒野庄古図(多武峰文書)はすでにその名が登場しており、1400年頃の『注進 金峯山免田田数事』には当寺の場所等が記されている。また1553年(天文22年)には先の右大臣、称名院右府 三条西公条が吉野詣での際、帰途の道中と二度に亘り宿泊したことが記録に残っており、貴人を接待する寺院であったことがうかがい知れる。1669年には新庄藩藩主であった桑山修理亮により本堂が再建されている。1722年の大和国葛下郡高田寺寺内町寺社帳には本堂、境内地や年貢地等が詳しく述べてある。「午睡庵和歌」や「竹園日記」等の話の中にも記されている。 伝説滋賀県の高島郡三尾の白蓮華谷に約30m程の楠が生えていた。この木は常に輝き、芳しい香りがする不思議な木であった。6世紀初め、大洪水により大津に流され、その漂う処に色々と不思議な事を起こしていた。これを奈良県橿原市の小井門子が亡夫の冥福の為に仏像を造ろうと思い、運んで来たが着工できずに亡くなった。後に出雲臣大水沙弥法勢が自分の里の葛城市に観音を刻んで祀ろうと、この大和高田の当寺の前まで来たところ、不思議にも大盤石の如く動かなくなり、やむなくそのままになって法勢もまた死んでしまった。そのうち、この木を切ろうとする人は祟りを受け、礼拝供養する人には御利益があり、遂に人々が神木として参詣し市も立つさまであった。 この噂が天聴に達し、当時の高僧大満菩薩が遣わされて霊木を祈念し、刻み始めた。ところが毎夜半になるとノミの音が妙に響くため異様に思い霊木に近寄ると、この一音毎に観音の姿が鮮やかに刻まれて行った。これを安置したのが当寺の本尊であり、山号の妙音山はノミの音に起因しているという。なお、霊木の残りは童子(地蔵菩薩)の墨染衣の袖に引かれ、東の桜井市初瀬の長谷寺の本尊として祀られ、当寺本尊と同型双霊の尊像となる。したがって、「本」をつけてその由来を表していると云われている。 文化財大規模な調査としては、昭和26年(1951年)1月11日県立大和歴史館(現橿原考古学研究所)による調査と、近年平成17年(2005年)1月20日に奈良県教育委員会文化財保存課によって執り行なわれている。
その他の文化財
建造物
アクセス
外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia