鎧潟(よろいがた)は、かつて新潟県西蒲原郡(現在の新潟市西蒲区)に位置していた潟湖。旧巻町、旧西川町、旧潟東村にまたがっていた[1]。
概要
面積は約9平方キロメートル[2]。
中ノ口川と西川にはさまれた低湿地に潟湖が形成されたもので、排水池や用水池として利用された[3]。
しかし、流れ出る河川が無かったために、大雨の時などに水が溜まり、あふれた水により周りの田畑の作物に大きな被害をもたらした[4]。
現在は干拓により240ヘクタールの農地が造成されている[3]。
歴史
- 文政年間(1818年〜1830年)に長岡藩により干拓が始められ[2]、潟の面積が著しく縮小した[3]。
- 文政3年(1820年)には、潟の排水と新田開発を目的として内野新川が開削された[4]。
- 明治時代に排水機が設置され干拓が始まり[5]、明治末期までに潟の面積の半分が耕地となった[2]。
- この頃鎧潟周辺の住民、農業以外に潟で漁業や鳥類の狩猟・植物の採集を行っていた[5]。
- 1959年(昭和34年)に国営事業による干拓が始まり[5]、1968年(昭和43年)、全面が干拓された[2][4]。
出典
- ^ 「にいがた緑さんぽ <21> 潟東鎧潟水生公園」『市報にいがたONLINE』第2012号、2005年9月18日、2017年12月3日閲覧。
- ^ a b c d ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『鎧潟』 - コトバンク
- ^ a b c 世界大百科事典 第2版『鎧潟』 - コトバンク
- ^ a b c “潟の開発の歴史”. 新潟市 潟のデジタル博物館. 新潟市地域・魅力創造部 潟環境研究所. 2017年8月11日閲覧。
- ^ a b c “米どころ新潟の誕生”. 常設展示. 新潟県立歴史博物館. 2017年8月11日閲覧。
関連項目
- 潟東村 - 鎧潟の東側にあったことが村名の由来となっている
- 白蓮潟
外部リンク