「鍋がやかんを黒いと言う」(なべがやかんをくろいという、英語: The pot calling the kettle black)は、おそらくはスペイン語に起源があると考えられている、ことわざ的なイディオム(慣用表現)で、英語では17世紀前半から用いられている。その初出とされる用例は、ある罪状で他人を告発していた人物が、まさにその罪状で自ら有罪となったという文脈で用いられており、心理学における投影の事例となっている。
英語におけるこのイディオムの初出は、トーマス・シェルトン(英語版)が1620年に翻訳したスペイン語の小説『ドン・キホーテ』の英訳であった。主人公ドン・キホーテは、従者サンチョ・パンサ(英語版)の批判に晒されて徐々に進むのが遅くなって行くが、サンチョに対して「お前はフライパンがやかんに『進め、黒眉毛野郎』と言ってるようなもんだ (You are like what is said that the frying-pan said to the kettle, 'Avant, black-browes')」と言う[1]。この箇所のスペイン語原文は「Dijo la sartén a la caldera, Quítate allá ojinegra」(「フライパンは鍋に、出てこい、そこの目を黒くしている(目のふちが黒あざになっている)奴と言った」となっている[2]。このテキスト中で、この表現は、自分が抱えている欠点と同じ欠点について他人を批判する人物に対して言い返すときの常套句/ことわざ (refrán) とされている。表現がやや異なるバリエーションもいくつかあり、フライパンが鍋を「黒い尻 (culinegra)」と呼ぶこともあるが、これはフライパンも鍋も調理のために火にかけられて黒く汚れることを踏まえている[3]。
"If thou hast not conquer'd thy self in that which is thy own particular Weakness, thou hast no Title to Virtue, tho' thou art free of other Men's. For a Covetous Man to inveigh against Prodigality, an Atheist against Idolatry, a Tyrant against Rebellion, or a Lyer against Forgery, and a Drunkard against Intemperance, is for the Pot to call the Kettle black."[5]
これとは別の近代における解釈は[6][7]、元々のものから大きく隔たったもので、鍋は火にかけられるため煤けているが、やかんは石炭の上に置かれるだけなのでピカピカであり、鍋がやかんを黒いと告発するのは自分の煤けた姿がやかんに映ったのを見てのことであり、ポットが告発しているやかんの難点は、実は鍋だけが抱えているものであって、両者が共有しているものではないとする。このような論点は、1876年に刊行された初期の『セント・ニコラス・マガジン (St. Nicholas Magazine)』誌に掲載された、無署名の詩にも現れる。
"Oho!" said the pot to the kettle; "You are dirty and ugly and black! Sure no one would think you were metal, Except when you're given a crack."
"Not so! not so!" kettle said to the pot; "'Tis your own dirty image you see; For I am so clean – without blemish or blot – That your blackness is mirrored in me."[8]