銅屋新右衛門

銅屋 新右衛門(あかがねや しんえもん、生没年不詳)は、戦国時代冶金[1]。姓は平安[1]

経歴・人物

文亀から永正年間に摂津国川辺郡山下村[注釈 1]精錬法の一つである山下吹を創案したと伝わる[1][2]。子孫は代々銅屋を襲名した[1]

山下吹

戦国時代当時、中国・四国・九州各地の銅山は、既に採掘年代が古かったため、含銅量および品位の高い酸化銅を多く含む部分は掘り尽くされ、残るは品位の著しく低い硫化銅の含有量が高いものであった[2]。そのため、旧来の製錬法にては鈹湯の量が少なく、そのまま真吹を続行するのが難しくなっていた[2]

新右衛門が考案したとされる山下吹は、酸化製錬法の一つで、まず鍰を除きながら素吹に達し、一旦銅鈹を剥離させる[2]。一旦作業を中止し、上記の方法を反復し、銅鈹を集め、適量に達すると炉に装入し、木炭の火力によって熔融させ硫黄分および鉄分を除去し、粗銅を作る[2]

この山下吹の開発により、銅貨の発行および貧鉱の開発が進んだ。

脚注

注釈

  1. ^ 『日本人名大辞典』[1]では但馬国山下となっているが、但馬国に山下は存在せず、そのため本項では『日本鉱業史要』[2]に従った。

出典

  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『銅屋新右衛門』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f 『日本鉱業史要』西尾銈次郎、2018年9月4日閲覧。