鈴木勝 (作詞家)
鈴木 勝(すずき まさる、1916年7月7日 - 1971年6月27日[1])は、日本の作詞家。「東京ブギウギ」の作詞家として知られる。養父は鈴木大拙。通称・アラン。筆名にビクター・ベルウッドなど。 略歴出生の詳細は不明だが、スコットランド人の父と日本人の母のハーフとする説がある[2]。鈴木大拙と妻のベアトリス・レイン・スズキは勝を実子として届けているが、大拙の日記や書簡などから養子であることが明らかにされている[3]。鈴木家にもらわれた日を戸籍上の誕生年月日としているが、実際にはその時点で生後1年くらいだったと言われ、鈴木家遺族によると、三越の断裁師のスコットランド人が日本女性に産ませた私生児ではないかとされる[3]。 真宗大谷派の小学校を経て、1929年に京都府立京都第三中学校に入学し寮生活を始めるが、素行の悪さに手を焼いた大拙によって1931年に高野山中学に転校させられるも暴力事件を起こし、停学処分を受けたが、大拙の嘆願書により1934年に卒業し、同志社大学に進学[4]。 日本語と英語のバイリンガルであり、1936年、1937年と第3回と第4回の日米学生会議の代表に選ばれ、参加している[2]。このとき知り合った東京女子大生の久保ノブと1939年に結婚し一女を儲けるも、他の女性を妊娠させる事件を起こす[5]。大学卒業後はジャパンタイムズを経て1942年に同盟通信社に勤務し、特派員として妻子とともに上海に赴任、終戦により1945年に帰国、英文雑誌の記者のほか、上海で親しくなった服部良一の紹介でコロンビアレコードにも出入りしはじめる[6]。 1947年に発表された「東京ブギウギ」は、勝のアイデアを元に当時の妻(勝は再婚。1959年離婚)で歌手の池真理子が作詞したとされる[7]。作曲者の服部によると、勝の持ってきた作詞が気に入らず、二人でさらに手直ししたという[8]。 その後も書籍や歌の翻訳や映画の字幕、通訳など、語学力を生かした仕事を続け、三度めの結婚もし、日米を行き来し仕事をしていたが、1961年に未成年のバーの女給を監禁し強姦したとして逮捕され、「昭和最大の不肖の息子」などと週刊誌で報道される[9]。大拙はかねてより勝の酒癖の悪さに心を痛めていた。果たして三人目の妻とも離婚したが、1970年に咽頭癌で入院したのをきっかけに、成長した娘の池麻耶とも再会し、入退院を繰り返したのち1971年に娘に看取られ、亡くなった[10]。 家族3回結婚している。子供は婚外子も含めて3,4人いたと言われる。
主な作品
脚注
関連文献
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia