金櫻神社
金櫻神社(かなざくらじんじゃ)は、山梨県甲府市御岳町(みたけちょう)2347番地に鎮座する神社である。 概要市域北部、荒川上流の山間部に位置する。雄略天皇時代465年に金峰山に本宮として創建されたとされる山岳信仰の神社で、金峰山信仰(御嶽信仰)の中心神社。幕末までは蔵王権現と呼ばれ、慶応4年(1868年)の由来書で「金櫻神社」と称している[要出典]。周辺には新式や御師屋敷や宿坊があり、御岳村は門前町を形成した。 神体は、高さ20メートルの花崗岩質からなる五丈岩。祭神は少名彦命(スクナビコナ)、大己貴命(大国主)、須佐之男命(スサノオ)、日本武尊(ヤマトタケル)、櫛稲田媛命(クシナダヒメ)。[要出典]。 球形に磨かれた水晶の「水の玉」2つ、「火の玉」3つを神宝として祀る[1]。 歴史創建社記によれば、本宮は景行天皇40年にヤマトタケルが東征の帰路に参詣し、甲斐国造の塩海宿禰に社殿の造営を命じたという。雄略天皇10年、神勅により御岳山に社殿を造営した。天武天皇2年(674年)に大和国金峰山から蔵王権現と金精大明神が勧請され、それぞれ#本宮と#中宮に合祀された。 概史古代には甲斐国司が参詣し、空海は自筆経文を奉納したという。甲斐武田氏の祈願所として崇拝され、始祖の逸見清光が中宮社殿を再建したと伝わる。鎌倉時代には幕府執権の北条時頼が大般若経を、日蓮は法華経をそれぞれ奉納したという[要出典]。御像石の頂からは「甲斐派美」と呼ばれる湧水が湧き、甲府市域を流れる荒川や相川をはじめ、武蔵国の多摩川や信濃国の千曲川の水源とも信じられていたため、耕作守護神としての信仰も集め祈雨祭祀が行われた[要出典]。 ニホンオオカミを敬う眷属信仰は秩父地方の三峯神社や奥多摩の武蔵御嶽神社を中心に出現し、江戸中・後期に関東・中部地方において興隆する[要出典]。狼信仰圏に含まれる甲斐山間部にある金桜神社は、上野原市の王勢籠神社とともに狼信仰の神社として知られ、白狗が金桜神社で日本武尊の案内役を務めたという『甲斐国社記・寺記』説話に基づく絵画資料なども存在しており、現在でも狼札を配布している[3][要ページ番号]。 本宮
境内里宮境内の中宮本殿・東宮本殿(ともに1955年焼失)は中世の建築で、年代は不詳であるが室町時代の建立であると考えられている。『甲斐国志』では里宮本宮は武田信義の造営で、中宮本殿は源清光により再建され、東宮本殿は近世に浅野長政に建立されたとしている[要出典]。 中宮本殿は三間社流造、東宮本殿社殿は方三間・単層の入母屋造で、どちらも屋根は檜皮葺で箱棟を載せる。両本殿は1907年に国の重要文化財に指定された[要出典]が、昭和30年(1955年)12月18日の火災で両殿はじめ12棟[4]や伝左甚五郎作の昇竜降竜が焼失しており、現在の朱塗の社殿は1959年(昭和34年)に再建された[要出典]。 伝武田勝頼奉納の能面8面、住吉蒔絵手箱、家紋散蒔絵手箱、筏散蒔鼓胴、武具散蒔絵鼓胴の5件は山梨県指定有形文化財[5]。奉納品に堀友二作の「昇竜降竜」がある。また、境内には「鬱金の桜」が咲く。 例大祭は4月21日から22日で、御岳大神楽が行われる[要出典]。現在は神域が秩父多摩国立公園に属し、御岳昇仙峡とともに観光名所である[要出典]。
指定文化財
1967年(昭和42年)8月7日付で以下の5件を指定。
脚注参考文献脚注の典拠、主な執筆者名順。
関連項目関連資料本文の典拠ではない資料、種別と発行年順。
国立国会図書館『レファレンス協同データベース』の記録に拠る。「山梨県甲府市の金桜(かなざくら)神社の由緒が書かれている資料はあるか。(山梨県立図書館)」、2021年10月19日閲覧。 一次資料
神社の由緒(地方史の資料)
『新編甲州古文書』第1巻(前出)の典拠
外部リンク |
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