重松重治重松 重治(しげまつ じゅうじ、(1870年12月24日〈明治3年11月3日[1][注 1]〉 – 1943年〈昭和18年〉2月4日[2][3])は、明治後期から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 経歴豊前国宇佐郡江島村[4](大分県宇佐郡江須賀村、柳ヶ浦村[5][6]、柳ヶ浦町、長洲町を経て現宇佐市)で、重松和七郎の長男として生まれる[4][7]。中津の漢学塾で学び、その後、同志社に進んだが一年で中退した[4]。1897年(明治30年)家督を相続[7]。 帰郷して柳ヶ浦村会議員、宇佐郡会議員となる[2][3][4][5][6]。1911年(明治44年)大分県会議員に選出された[2][4][5][6]。1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙で大分県第7区から憲政会所属で出馬して当選し[2][3]、以後、第20回総選挙まで連続7回の当選を果たした[2][3]。 1897年(明治30年)柳ヶ浦製糸の設立を主導した[4]。1910年(明治43年)大阪の才賀藤吉の協力を得て宇佐電気を設立し、1912年(明治45年)大分水力電気と合併し、さらに1916年(大正5年)九州水力電気と合併した[4]。その他、宇佐郡米穀商業組合長、国東鉄道取締役、柳浦銀行取締役、朝鮮電気取締役、日本窒素肥料取締役、鉄道会議臨時議員なども務めた[2][3][4][5][6][7]。 脚註注釈
出典参考文献
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