酒井明
酒井 明(さかい めい / あきら、1851年(嘉永4年) - 1907年(明治40年)3月10日)は、日本の内務官僚、実業家。尾張国(現愛知県)出身。 経歴尾張藩士・酒井宮橘の息子として生まれる。明治元年(1868年)に明倫堂の訓導に就任。明治5年(1872年)、滋賀県十五等出仕となる。その後、内務権参事などを経て、1880年(明治13年)3月、徳島県大書記官に発令され、同年12月、徳島県令に就任。1886年(明治19年)7月に徳島県知事に就任し1889年(明治22年)12月まで務めた。1892年(明治25年)12月25日、非職満期となり退官した[1]。 退官後は第四十銀行副頭取や日本鉄道会社理事などを歴任した他、旧藩主である尾張徳川家の相談役を務めた。 栄典・授章・授賞
脚注参考文献 |