郡頭神社
郡頭神社(こおりずじんじゃ[1])は、高知県高知市鴨部上町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。 祭神祭神は次の1柱[1]。 歴史創建創建は不詳[2]。『続日本紀』神護景雲2年(768年)11月18日条では、「土左国土左郡人神依田公名代」ら41人に「賀茂」姓を賜うと見えるが、この「神依田」は付近の地名「神田(こうだ)」を指すといわれる[2]。また、『新撰姓氏録』摂津国神別 地祇 鴨部祝条には「鴨部祝。賀茂朝臣同祖。大国主神之後也」と見える[2]。これらの記事から、鴨部一帯に居住した鴨氏・鴨部氏(賀茂氏の部民)が、祖先神として大国主命を祀ったのが当社の創祀といわれる[2][3]。 なお、当社一帯は『和名抄』の土佐郡鴨部郷に比定される[2]。この鴨部郷一帯の開発は古墳時代と見られ、6世紀頃には原始祭祀があったものと推測される[2]。その後の鴨部郷の繁栄の様子は、『東大寺文書』の天平勝宝4年(752年)造寺司牒において土佐郡鴨部郷から50戸が東大寺の封戸とされたことに見られる[2]。 社名「郡頭」については、土佐国諸郡の頭にあたる土佐郡に鎮座するためとする説、郡の頭たる土佐郡家が鴨部郷にあったとの推測に基づく説、地名「神田」に由来するとする説があるが明らかではない[2]。 概史延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では土佐国土佐郡に「郡頭神社」と見え、これは当社に比定される[2]。なお、社名の読みは「コホリツノ」と振られる[2]。 その後の変遷は明らかでないが、永正元年(1504年)・寛永5年(1708年)の棟札によると、中世以降は社名を「鴨部神社」とするのが一般的になったと見られる[2]。 明治5年(1872年)、近代社格制度において郷社に列した[1]。昭和56年(1981年)には火災で社殿を焼失したため、現在の社殿はその後の再建になる[1]。 摂末社
祭事
脚注参考文献
外部リンク
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