追憶 (唱歌)「追憶」(ついおく)は、アメリカ合衆国で賛美歌、聖歌として歌われていた「フリー・アズ・ア・バード (Flee as a bird)」ないし「フリー・アズ・ア・バード・トゥ・ユア・マウンテン (Flee as a bird to your mountain)」に、古関吉雄が日本語詞をつけ、1939年に発表された唱歌[1][2]。第二次世界大戦後の日本では、音楽の教科書に掲載されるなど広く知られ[1][2]、また「フリー・アズ・ア・バード」の演奏が、日本語ではこの曲名で紹介されることもある。 「フリー・アズ・ア・バード」「フリー・アズ・ア・バード」は、アメリカ合衆国の詩人で、賛美歌の作詞作曲もしたメアリ・S・B・シンドラー(旧姓:ダナ (Dana))が、スペインの旋律をもとに、旧約聖書の詩篇(第11篇)に基づいて作詞した賛美歌とされる[3]。ただし、原曲となった具体的な楽曲は特定されていない[3]。曲名は「鳥のように、(向こうの山に)飛んでゆけ」を意味する冒頭の1行から取られている[4]。
1916年には、コントラルトのルイーズ・ホーマーがこの曲を録音している[5]。 この曲は、セカンド・ラインとして知られるニューオーリンズにおける黒人の葬送の際によく演奏される楽曲でもあり、それを再現したジャズ・ミュージシャンによる演奏でもしばしば取り上げられ、ルイ・アームストロング[6]やジョージ・ルイスから[7]、ウィントン・マルサリスまで、様々な音楽家による録音がある[8]。ジェリー・ロール・モートンは、1927年に発表した「デッド・マン・ブルース (Dead Man Blues)」の冒頭に、この曲からの引用を盛り込んでいる[9]。 日本語での歌唱「月みれば」「フリー・アズ・ア・バード」をもとに日本語詞をつける取り組みの最初は、1890年に『明治唱歌 第五集』に収録される形で発表された、大和田建樹による「月みれば」であった[2]。
「故小妹」1919年には、ユニテリアンのサークルであった「惟一倶楽部」名義の日本語詞による「故小妹」(こしょうまい)が発表され、後には喜波貞子や藤山一郎によって録音も行われた[2]。
「追憶」1939年に、明治大学教授であった古関吉雄は、「追憶」と題して、「星影やさしく またたくみ空」で歌い出す歌詞を発表し、以降、学校教科書などで取り上げられるようになって、この曲の代表的な日本語詞となった[2]。 脚注
外部リンク
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